お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

True Love (真実の愛)

 まことの愛とは、相手の「いのち」のかけがえのない尊厳さにめざめ、相手をほんとうに大切なものと思う心から出てくるいつくしみの心です。それは決して憎しみに変わることはないはずです。お互いが、一つの大きな「いのち」のなかで連体し、一人ひとりがかけがえのない大切な存在であることをはっきりと確認したところから、「もろもろの衆生において視そなはすこと、自己のごとし」(『大経』=『注釈版聖典』七頁)というような深い対人関係が成立します。仏教では、それを慈悲という言葉であらわしてきました。     
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 しかし、そのような慈悲の心が起こってくる根底には、自分と他人をわけへだてすることのない智慧がなければなりません。わたしたちが日常やっているような、自己と自己でないものとを画然とわけへだてをして認識していくことを仏教では虚妄分別といいますが、そのような考えかたを打ち破って、一切の衆生と自分とが本来ひとつであると直観してゆくような、万物一如の知見 ― 無分別智 ― がなければならないのです。         
 ……………………. 万物は本来一如であるとさとり、自他の区別を超えて、生きとし生けるすべてのものと連帯し、万人の苦悩をみずからのこととして共感し、その苦を抜いて、真実のしあわせを恵み与えようとする方を仏陀とよぶのです。                                  
   【 「 聖典セミナー『歎異抄』 」  梯 實圓  】



 真実の愛は、智慧と慈悲を完全に実現されている仏陀にしか存在しえません。そしてその愛は不変です。ですから、自己のおかれた状況や都合によって人の愛は、お互いの利害関係が崩れた時に壊れ、憎しみに変わるといわれますが、仏陀の愛は憎しみに変わることはありません。どこまでも私をあわれみ、いつくしむ愛です。自己中心にしか考えられず、自己愛にしか生きられない身でありながら、仏陀の不変の愛に生かされているからこそ、懺悔せずにおれない気持ちを誘発され、また喜びを感じさせて頂けるのでしょう。           
My impressions:
True love can exist in only the Buddha who has perfectly realized wisdom and
compassion. The love is permanent. So unlike a person's love, it never changes into
hatred. On the contrary, it is boundless love to pity and cherish me. I may smartly
say, “ I love the others,” but my love is self-centered and no more than love of self.
Though I live in such selfish love, I am made to live in the Buddha's true love.
Thanks to the Buddha's compassion, I have the honor to repent my self-centered
love and feel joy.