遊べ、遊べ、ただ遊べ ( Play, Play, Only Play )
遊戯三昧(ゆげざんまい)/ 無門関(禅宗の仏書)
のんびりとして、どんなことに対してもとらわれない、そんな自由な心持ちで行われる行動が遊戯です。仏や菩薩は、この遊戯の境地をもって、私たちを救うべく活動をされています。
世間では、遊ぶというとあまりいい意味で受け取られません。「もっと働け、怠けるな」と、悪いことでもしているような言われようです。しかし遊戯は、生きづらいこの世を生きるために大切な考え方でもあります。
人生にはどれだけ頑張っても、うまくいかないことはあります。なんだか私の人生は、貧乏くじを引いたようなものだ。そう感じる方もいらっしゃるでしょう。
そんなときに「私はいま貧乏くじを引く役をしているんだ。遊んでいるんだ」と考えることができたら、少しは心も軽くなるかもしれません。しょせん、この世は仮の宿り。そう考えて、自分という役を遊戯の心持ちで楽しむと、景色も違って見えてきます。
【 『老いを生きる 仏教の言葉100』 ひろ さちや[監修] 】
遊戯の意味は上記に書かれていますが、更に『広辞苑』からも引きます。「遊戯;① 遊び楽しむこと ② 楽しく思うこと ③ [仏] 心にまかせて自在にふるまうこと」また、「遊戯三昧」とは「遊戯にふける(専心する)こと」とあります。
仏や菩薩方は、衆生の教化、救済をみずからの楽しみとして行動しておられることが窺われます。
「自分という役を遊戯の心持ちで楽しみたい」ものです。