十念して、極楽へゆく(With Ten Utterances One Will Be Born)
- 悪を重ねないと生きていけなかった時代
武士たちは、相手かまわず、人と人が殺し合って生きた。
自分の夢は持てず、殺すか殺されるかのリスクの中で、生きるために、人を殺し、悪行を重ねた。自分の意志ではなく殺人を続けた。
母親となった女性たちも、子供を食べさせることができない戦いにつぐ戦乱!
男は戦いに駆り立てられて、人殺しの毎日。女性は働く職もなく、一切の収入がない。多くの女性が、産んだ子供を、捨てた。川へ山へ ………。涙をのんで殺人!
一生悪をつくれども安養界にいたる『教行信証』
悪を重ねないと生きていけない。親鸞は、大丈夫! 念仏を十念すれば、必ず安養界に行ける。否! 十念して安養界に生きるんだ!「死ねば極楽へ」は、危機に面して苦しむ大衆の生きがいの言葉となった。死後の極楽は、今日一日を明るくした。
【 『こころに響く 親鸞の言葉』 境野 勝悟(かつのり) 三笠書房 】
『教行信証』の、「一生悪をつくれども安養界にいたる」という言葉はとても頼もしいものです。ここで説かれている「十念の念仏」の意味を、『浄土真宗聖典』註釈版第二版の巻末註「じゅうねん{十念}」には、次のように書かれています。「善導大師、法然上人は十念を十声の称名念仏の意に限定したが、これは『観経』の下下品に、「十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ」とあって十念の称名念仏によって阿弥陀仏の浄土に往生できると説かれているのを根拠にしたためである」。
「十念の念仏」イコール「浄土往生が定まること」ですね