どんなに珍しい御馳走を揃えて、客人をもてなしても、その御馳走を食べてくれなければ何にもならない。それと同じように、道を求める仲間たちが集まって、教えを聞いても、阿弥陀如来の明るい眼にめぐりあう人がいなければ、すべてが無駄になってしまう。目の前の御馳走を食べないのと同じだ。
【 現代語訳 『 蓮如上人御一代記聞書 』 高松信英 法蔵館 】
たとえば、拒食症の人や、偏食をしている人は、差し出された御馳走を食べることは無理でしょう。同様に仏教の教えを聞いても、明るい眼にめぐり会わなければ、「救われない」のと同じです。目の前の御馳走を食べずに終わるのは、残念なことに相違ありません。