いつも初めてのように (We Should be Always Take as if It's First Thing)
阿弥陀如来の明るい眼に頭が下がったものは、何度、同じ南無阿弥陀仏の教えを聞いても、初めて聞いたような感動を覚えるものである。私たちはともすれば長い間教えを聞いていると、みんな当たり前になってしまって、もっと珍しいことはないか、変わったことないか、という聞き方になる。これはまだ目覚めた心にめぐりあっていない証拠である。同じことを何度聞いても初めてのように受け止めたいものである。
【 現代語訳 『 蓮如上人御一代記聞書 』 高松信英 法蔵館 】
阿弥陀如来に救われている人は仏法を聞いて、初めて聞いたような感動を覚えるもの である、と言われます。しかし、いい加減な聞き方を長い間している人は、まだ救われていないことになります。同じことを何度聞いても初めてのように受け止めることができる人が救われていることになります。
嫌なことが修行 ( What Is Disliking to Us Is Training )
「他人の欠点はよく目につくものである。だが自分のことになるとさっぱりわかっていないではないか。もし自分の悪いことに気がついたならば、これはよくよく悪いからこそ気がついたのだと思って、心を改めるがよい。いつもまわりの人の言うことには、謙虚に耳を傾けるがよい。自分では自分の姿は何一つよくわかっていないものだから」と蓮如さまは教えられた。
【 現代語訳 『 蓮如上人御一代記聞書 』 高松信英 法蔵館 】
自分のことは、よくよく分からないものです。うぬぼれが心が強いからだとも思わfれます。謙虚に自身のことに対して、周りの人の意見にも耳を傾けることが大切だと教示されています。そのための大事な修行だと言ってもいいでしょう。
逆境も大事なご縁(Adversity Is Also Important Ties)
南無阿弥陀仏の教えをいただく者は、どんな悲しいことに出会っても、どんな都合の悪い境遇にあっても、それは素晴らしい阿弥陀如来の眼をいただく大事なご縁なのだ、ということをわすれないように。常に阿弥陀如来の明るい眼の働きを喜ぶ人になりたいものである。
【 現代語訳 『 蓮如上人御一代記聞書 』 高松信英 法蔵館 】
この世に生きている限り、順境ばかりあるはずがありません。むしろ逆境の方が多いのではないでしょうか。逆境も大事なご縁であることは違いありません。ここに書かれているように、逆境は阿弥陀如来の眼をいただく大事なご縁となるのだと教えられています。そのご縁を大事にして、阿弥陀如来に救われる身になりたいものです。