お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Issa Kobayashi as a Wondrously Excellent Person(妙好人としての小林一茶)②

 一茶の俳句は二万句ほどある。不幸続きの生涯でありながら、それに負けまいという心が独特の風刺とユーモアをもって伝わってくる。 この独自の品位というべきか、優しさの中に、私は「触光柔軟」という『無量寿経』の三十三願を思う。一度仏の慈悲と光に触れたものは心身が柔らかくなり、香気を感じるようになるとのこと。

 「ぽっくりと死が上手な仏哉」(六十四歳)。この俳句は少し分かりにくい。
 「御仏はさびしき盆とおぼすらん」(六十五歳)。盆が寂しいのは、一茶が仏の迎えになかなか応じないからだ。六十五歳といえば一茶が亡くなる歳。この年も柏原の大火事で家を追い出され、焼け残った土蔵で仮住まいをする。中風の後遺症もあり、言語障害もある。門人の家を転々としたという記録もある。
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みんな死に上手なのに、なんと私はみっともないことか。私の縁ある人にも不幸ばかりおかけした。お盆になると仏も鬼も私がなかなか来ないので、きっと寂しがっているだろう。
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 「御仏や寝てござっても花と銭」などは現代でも通じるユーモアがある。夏に涼しい風とわが家があれば、それで幸せというものだ。「涼風の浄土すなわち我家哉」などは妙好人らしい。
    【 「妙好人めぐりの旅」 伊藤智誠  法蔵館 】


 筆者、伊藤師は「この独自の品位というべきか、優しさの中に、私は『触光柔軟』という『無量寿経』の三十三願を思う」と言われています。この触光(そっこう)柔軟の願(第三十三願)については御一代記聞書にも、「信心を得たなら、念仏の仲間に荒々しくものをいうこともなくなり、心もおだやかになるはずである。阿弥陀仏の誓いには、光明に触れたものの身も心もやわらげるとあるからである」と書かれています。
 この言葉通り、「我ときて遊べや親のない雀」を初めとする一茶の歌は、優しさの表現につながる柔軟な心がベースになっているのですね。
 尚、伊藤師は妙好人としての一茶の晩年の句として、「弥陀仏のみやげに年を拾うかな」も挙げておられます。


My impressions:
Issa Kobayashi composed haikus which amounted to as many as twenty thousand or
so throughout his life. I admire him for so many haikus he made. But his life was full of unhappiness, troubles, and difficulties. It was nothing less than a stormy life.
His haikus nevertheless have unique satires and humors, and create his own
elegance and tenderness. He was enlightened by the Buddha, and was an excellent
believer in Buddhism. Because such a person feels the light of the Vow of softness
and gentleness in body and mind, his mind is said to be pliant and gentle. At the
bottom of his haikus flows this tender mind of his.
I again admire him for his haikus filled with his humane character.