お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

As Hope Recedes(希望は遠のいて)__「アンネの日記」から思うこと

This evening there was a long, loud ring at the door. I turned white at once, got a
stomachache and heart palpitations, all from fear. At night, when I'm in bed, I see
myself alone in dungeon, without Mommy and Daddy. Sometimes I wander by the
roadside or they come and take us away at night. I see everything as if it is actually
taking place, and this gives me the feeling that it may all happen to me very soon! I
simply can't imagine that the world will ever be normal for us again. I do talk about
“ after the war”, but then it is only a castle in the air, something that will never really
happen. [ the excerpt from “ The Diary of Anne Frank"]
(訳)
 今日の夕方、入り口のベルが長々とけたたましく鳴りました。私はたちまち顔面蒼白になり、おなかが痛くなり、胸がドキドキしました。これはすべて恐怖心から起こったことです。夜ベッドに入ると、自分がたった一人で母や父から離れて地下牢にいる姿が浮かんできます。時には、道ばたをさまよい歩いていたり、夜あの連中がやってきて、私たちを連れ去る情景が目に浮かぶこともあります。何もかもまるで現実に起こっているかのように見えるので、もしかしたら今すぐにでも、すべて実際に自分がそうなってしまうのではないか、という気持ちになってしまいます。世の中が正常な状態に戻るだろうというようなことは、私にはとうてい考えられません。私も「戦争が終わったら」と話すことはあるけど、そんなのは空中に楼閣を築くようなもので、決して実際には起こらないことでしょう。[アンネの日記」より抜粋 ]


上の文は、第二次世界大戦のさなかに、ユダヤ系ドイツ人の少女、アンネ・フランクが書いた日記の抜粋です。アンネは日記を1942年、13歳の時から書き始めました。ナチスの迫害を逃れて家族とともにアムステルダムに移住し、小さなアパートの屋根裏部屋に隠れ住み、その間も書き続けました。2年間そこで生活しましたが、ついに発見されて連行され、1945年戦争が終わる直前に収容所で亡くなりました。
 13歳の少女の捕まるのではないかという、恐怖におののく姿が赤裸々につづられています。捕まれば連行され殺されてしまうという恐怖心につながっています。どれほど絶望にうちひしがれた生活であったでしょうか。まさに死の影が現実味を帯びて迫っているという、まだ年端もいかない少女の実話だけに、一層哀れみを誘うのです。


 ところで、親鸞聖人が「死ぬのではないだろうか」、と死に対する胸中を吐露されている箇所が歎異抄第九条には、次のように書かれています。
「また浄土にはやく往生したいという心はおこらず、少しでも病気にかかると、死ぬのではないだろうかと心細く思われるのも、煩悩のしわざです。果てしなく遠い昔からこれまで生まれ変わり死に変わりし続けてきた、苦悩に満ちたこの迷いの世界は捨てがたく、まだ生まれたことのない安らかなさとりの世界に心ひかれないのは、まことに煩悩が盛んだからなのです。どれほど名残惜しいと思っても、この世の縁が尽き、どうすることもできないで命を終えるとき浄土に往生させていただくのです。はやく往生したいという心のないわたしどものようなものを、阿弥陀仏はことのほかあわれに思ってくださるのです。このようなわけであるからこそ、大いなる慈悲の心でおこされた本願はますますたのもしく、往生はまちがいないと思います。」     [「歎異抄」(現代語版)より]


 聖人は、少しでも病気にかかると死ぬのではないだろうかと心細く思ったり、この世に名残惜しく思って急いで浄土へ往生したいと思わないのは、すべて煩悩のしわざによるものであると言われています。そしてこのような心しか持たない私たちをあわれに思って、大慈悲心を持って起こされた弥陀の本願をますますたのもしく思うと、喜びの心を表わされています。
 ここには往生まちがいないという確かな安心があるため、死に対する恐怖心は全くありません。それどころか浄土往生できるという喜びの心しか見られません。ところが、迷っている人間の死に対する感情は、誰もがアンネのそれと同じではないでしょうか。そして不安な心を持ったまま死へと突入しなければなりません。聖人の心とは180度の違いです。

 
 ここで「死」を浄土真宗の立場から考えた時、すべての人は聖人型かアンネ型かのどちらかに二分されます。聖人型とは阿弥陀仏の本願を疑いなく聞いた人、アンネ型とはまだ聞いていない人です。二つのタイプの違いは、前者は死後に不安のない人、後者は死後に不安のある人といえます。何故不安のある、なしが生ずるのでしょうか。それは死後の行き先が前者は浄土行きとハッキリしているのに対して、後者はハッキリしないからです。行き先が分からないことほど不安なことはないでしょう。
 ですから、この世でどんなに輝かしい成功を納め、あるいは充実したと思われる人生を送ったとしても、もし阿弥陀仏の本願を聞かずに逝くとすれば、死を目前にする時には、誰もがアンネの人生とさほど変わらない人生であると言えるでしょう。


アンネ・フランク(1929- 1945) 【百科事典 マイペディアより】
いわゆる「アンネの日記」を書いた少女として知られる。ドイツのフランクフルト・アム・マインユダヤ系実業家の家に生まれ、1933年アムステルダムに移住。ドイツ占領下で家族とともに隠れ住んだが1944年8月逮捕され、1945年3月ベルゲン・ベルゼン収容所で病死した。隠れ家で書いた2年間の日記が父親オットーにより出版(1947年)され、世界中で読まれた。