お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

A Sensitive Heart(感じる心)

 阿弥陀如来のお慈悲は、人間の身体や知性ではとうていわかりません。何によってわかるかというと、それは心でわかるのです。感じる心です。有り難いというのはこれは頭のはたらきではありませんね。頭は損か得かはわかるかもしれないけれど、有難いということは、どこまでも心が感じることです。われわれは、この大事なハートを不思議にいただいたわけです。
       【 「悪人成仏」歎異抄第三条 大峯顯 】


 犬や猫のような動物には、如来のお慈悲を感じる心はありません。人間だけが持つもの、それは如来のお慈悲を“感じる心”だと大峯師は言われます。その心こそ大事で、かつ人間特有のすばらしいものだと知らされます。

My impressions:
The heart that feels grateful for Amida Buddha's compassion is proper to human
beings. I have learned that it is ‘the heart which feels’ given to only humans that
is important and splendid.