お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

‘Tightly’ and ‘All’(「しっかり」と「すっかり」)

 蓮如上人の御文章五帖第十二通は、「「お袖章(そでしょう)」と呼ばれます。この章の中に「なにのようもなく、ひとすじにこの阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまいらするおもひをなして、後生をたすけたまへとたのみまうせば・・・・」と書かれている部分があります。ここに使われています「ひしと」の意味について、大峯師が教えられていることを、師の自著『なごりをしくおもへども「歎異抄」第九条』(P.36L.11〜P.38L.11)から次にまとめてみました。                                  


 “現代人の中には、「ひしと」を「しっかり」という意味に解釈して、「如来を離すまいとしてこちらがしっかり袖をつかむ」ように思い違いをしている人がいるかもしれない。これは御文章は五百年も前に書かれたものだから、現代と語感がずれているためである。   
 「ひしと」は当時は「すっかり」という意味であった。かの桜で有名な吉野山の中千本から上千本にかけての谷に咲く満開の桜の描写には、「ここから先はひしと桜だ」というような文学の用例もある。この意味は、「ここから先はすっかり桜で埋もれている」ということである。                                     
 「し」と「す」の違いはとても大きい。「ひしと」を「しっかり」と誤解したら自見の覚語になってしまう。「凡夫のわが身の程をうちわすれてすっかり阿弥陀如来のお助けのままにお任せする( We will throw our self-powers away and will leave
ourselves all to Amida Buddha.)」ということが、「阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまいらするおもいをなして」ということの正しい意味である。”                   


 大峯師のここでの説明にすっきりしました。これまで「お袖章」を読むたびに、「こちらがしっかりと袖をつかんで・・」と解釈していましたので、違和感がぬぐいきれなかったからです。それにしましても、蓮如上人の時代と現代とでは語感がずれているところが多くあるようです。「後生たすけたまへとたのみもうせば・・」の「たのむ」も現代語の「お願いする」ではなく、「あて力にして任せる」という意味ですから・・。また、この「お袖章」の後半部分に、「これしかしながら、弥陀如来の御かたよりさづけましましたる信心とはやがてあらわにしられたり」と書かれているところがあります。ここで使われています「やがて」も間違いやすいところです。この意味は現代語の「そのうちに」ではなく、「すぐに」という意味だからです。(古語辞典にも明らかです)古語の意味には十分注意しなければならないと思います。