お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Why We Should Not Kill Ourselves (なぜ自殺はいけないのか)

●一人一人は命は自分だけのものだと思っているかもしれませんけれども、これみな同じ一つの命なんです。命そのものはそんな狭い枠にはまらないのです。命は決して人類だけの所有物じゃありません。草花でも動物でもすべて生き物は同じ大きな一つの命を生きているんですね。その同じ大きな命、つまり輪郭の中に納まらないのが命の正体です。(大峯顯)
  [ お慈悲のままに「真夏の風景」(2012-08-03)で紹介 ]        

●この私という個人のいのちはたった一つだから尊いんじゃなくて、私個人より大きないのち、無量寿如来のいのちの一部だから尊いという考え方に変わってくる筈です。日々、如来様に生かされているいのちだからこそこの命はかけがえがないわけです。(大峯顯)[ 手品師さん「なぜ命は尊いのか」(2011-10-30) で紹介 ]

●「大いなるものに生かされて生きるしあわせ」(東井 義雄)

     
 某新聞紙上の「悩みの相談」コラムに、次のような相談が載っていました。   「18歳の女性です。どうして人は死んではいけないのですか。ずっと考えてきました。『自殺はだめだ』といいますが、なぜだめなのかを語る人はあまりいません。周りの人が悲しむからですか。それなら家族も友人もいない孤独な人は死んでも良いのでしょうか。  
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 なぜ死んではいけない? 答えはないかもしれませんが、ご意見を伺いたいです。」

   
 誰もが考える疑問だと思いますが、これに対して大峯、東井両師の回答は上述のようです。両師は、個々の命はすべて大きな一つの命(大いなるもの)、言い換えれば無量寿如来の命の一部であるから尊いのであると。これが仏教的観点から見据えた命の尊さ、つまり「なぜ自殺はいけないのか」に対する回答です。 

      
Q:
なぜ命は尊いのか?
Why is life precious?
なぜ自殺してはいけないのか?
Why shouldn't we kill ourselves?

A:
私たちは阿弥陀如来の命の一部であるから。
Because each of us is part of Amida Buddha's life.
私たちは阿弥陀如来の命の一部を生きているのだから。
Because each of us lives part of Amida Buddha's life.