お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

To Board a Vehicle(乗り物に乗る)

 私たちは乗り物に乗ったら、この電車や運転手は大丈夫だろうかと心配していないでしょう。今日、私は近鉄電車で参りましたが、お客さんは本を読んだり、おしゃべりしたり、なかには眠っている人もいました。絶えず運転手の運転を心配しながら乗るのだったら、乗ったことにならないでしょう。運転手の代わりをしていたら、乗客とは言えません。運転手さんにまかせ切っていることが、乗るということです。阿弥陀さまの本願力に乗ったら、私の方は何をしてもかまわないのです。如来を信ずるとは、そういう状態を言うわけです。それは私がいつも如来さまのことを考えていることではなく、何もかも如来さまにまかせるということです。
  【 「浄土の哲学」高僧和讃を読む 上  大峯顯  】



 先日、青森まで行ってきました。特急から新幹線へ、そしてまた新幹線へと乗り継いでの気ままな一人旅はとても快適でした。ただ少し欲を言えば、乗り継ぐという労力を必要としなければ、もっと快適だっただろうに、と思います。
 ところで、願船に乗るとは大峯師が言われるように、阿弥陀様に何もかも任せることです。阿弥陀様の願船に乗れば、途中下船を余儀なくされたり、乗り継がなければ目的地に着かなかったり、というようなことはありません。最初の唯一度の乗船ですべて阿弥陀様にお任せして、浄土への目的地まで直行できるのです。何と気楽な船旅でしょうか。親鸞聖人は願船に乗っている時の心境を次のように表現しておられます。               



 「大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに衆過の波転ず」(教行信証)                            
When one has boarded the ship of the Vow of great compassion and sailed out on
the vast ocean of light, the winds of perfect virtue blow softly and the waves of evil
are transformed.(訳:「英訳親鸞聖人著作集」より)

   
 願船に乗った人は誰でも聖人と同じ心境になれるのですね。