お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Flowers Offered to the Buddha(仏花)

 この前、ある店で造花の仏花を見つけました。ともかくその種の造花は初めてだったので、「発見した」と表現するほうがいいかもしれません。その造花の横の方に立てかけて置かれた紙の札には「枯れない、腐らない、美しい」と書いてありました。「なるほど」と、ひとしきり眺めていましたが、確かにきれいでした。しかし、「でも…..」となんだか腑に落ちない気がしたのも事実です。そこで息子夫婦の意見は、と思って尋ねると、「仏さまに対する感謝の気持ちがあれば別にいいんじゃない」ということで、二人の意見にも「なるほど」と思いました。
  
 毎朝、仏壇の仏花の花瓶の水を替え、同時に花は枯れていないかチェックするのを日課にしている者からすると、造花なら確かに枯れないし、水を替える必要もなくなり、そういう気づかいそのものが不要になります。それでもやはり、「でも…..」という気持ちが残るのです。
  
 今や造花の技術の分野も著しく進歩しているようで、まるで生花(せいか)のような趣があります。その昔、妙好人庄松がある家を訪ねた時、仏前にお詣りしたあと仏花が枯れているのを見て、「この頃、木が枯れているから、たき火に注意しなさいよ」とその家の主人に言ったというエピソードがあります。その庄松だったら、生花のような造花の仏花を見たら何と言うでしょう。彼の言い分を聞けるものなら是非聞いてみたい、そんな衝動に駆られます。
  
My impressions:
I found at a certain store artificial flowers which were intended to offer to the Buddha. I was a lot surprised to see them because it was the first time for me to do so. I have
fully got accustomed to offering natural flowers to the Buddha, and have taken it for
granted that I use them.
In the old days, Shoma, a wondrously excellent person, was quoted as saying that
they should be careful of a fire when he saw withered flowers dedicated to the Buddha in a Buddhist altar.
What does he say about offering artificial flowers, I wonder? I feel an irresistible
impulse to listen to his opinion.