お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

To Hear the Name(名号を聞く)①

 「仏の正覚」と「衆生の往生」とは同時成就であります。         
 すなわちわれらの往生(おたすけ)は、仏の方より正覚と同時に成就せられてあります。(途中省略)                         
 従って真宗の安心をとる要点は、この成就せられた法が機にあらわれるほかはありません。われわれはどうしたら助かるのか、とわが機の方に心をよすべきではありません。だから本鈔には、 
  
※  日は出でたるか出でざるかをおもうべし、闇は晴れざるか晴れたるかを疑うべからず。仏は正覚成りたまえるか、いまだ成りたまはざるかを分別すべし、凡夫の往生を得べきか得べからざるかを疑うべからず。 
  
と指示されています。日や月のように法の力にてらされると、心の闇はたちまちに消滅します。心の闇とは「ウタガイ」であります。「マドイ」であります。法が疑心のやみをのぞくのであり「マドイ」の闇を晴らすのであります。従ってわれらが心を留むべき要は、おたすけの法の成就をよく聞くほかはありません。(途中省略)いわゆる正覚成就の法・南無阿弥陀仏の名号のいわれを聞き開くのみであります。                
  【 「『安心決定鈔』法話」 瓜生津隆雄  本願寺出版 】            
★上記文中の ※ の部分の文は瓜生津師はカタカナで書かれています。


 私たちの心を留めるところは、わが機ではなく、正覚成就の法であること。即ち、南無阿弥陀仏の名号のいわれを聞くことであると瓜生津師は言われます。わが機に心を留めるべきでない。そうではなく名号のいわれ(仏願の生起本末)を聞くこと。とても大事だと思います。聞法の要が示されています。


My comments:
What we should bear in mind is not the nature of human beings but the dharma of
the Buddha's completing the perfect enlightenment. This means we should hear the
origin of the Name, that is to say the origin and fulfillment of the Buddha's Vow. I
believe this is very important and the point of hearing the dharma.