お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Causal Conditions(縁)

 砂場で、幼い子どもが、時の経つのを忘れて、砂山を作って遊んでいるのを見かけることがあります。                                   
 大地、砂つぶ、子どもの作業、これら一つひとつが原因(縁)となり、砂山ができあがります。この中の一つの原因が欠けても、砂山はできません。そして、やがて風が吹き、雨が降り、時間が経過して、砂山は崩れていきます。色々な原因(縁)によって、形を変えていくのです。                                    
 いくつもの縁によって生まれ、また縁によって変化し続け、やがて元の形が無くなっていくありようを「無常」といいます。このように、「縁」と「無常」とは一対の言葉なのです。
( States, in which things arise because of many causal conditions, continuing to
change owing to causal conditions and lastly their shapes disappear, are
called ‘impermanence’. Thus, ‘causal conditions’ and ‘impermanence’ are a
pair of words. )


 多くの縁によって、この世に生を受けた幼子も、砂山が崩れて元の砂つぶに戻っていくように、やがては臨終の時を迎えなければなりません。だからこそ、急ぎ、仏とならせていただく仏縁をいただかなければならないのです。

   
 お釈迦さまは、「縁起」こそが真理であると説かれました。この世に生まれてきた者は誰も、「縁起」と「無常」の世界を免れることができません。なぜなら、私たちの存在そのものが、「縁」でできた「無常」なものだからです。親鸞聖人は「火宅無常の世界」と、「無常」について表現されました、私たちが生きるこの世は、燃えさかる家のように、たちまちに移り変わる世界なのです。やがては、この世での縁が尽き、終わりを迎えなければならないのが私たちのありさまなのです。                           
 そんな私たちだからこそ、いつでも、どこでも、はたらいていてくださっている阿弥陀さまの慈悲によって、仏とならせていただく。その教えに今、出会い、存在の根底から阿弥陀さまの慈悲の中で生きていくことが、何よりも大切な救いとなるのです。        
  【 浄土真宗本願寺派総合研究所 冊子『ごえん』より 】 

   

 私自身は、とても考えの及びつかないほど複雑に入り組んだ、さまざまな縁の網目の中に存在していることが分かります。一つでも網目が違っていたら現在の自分は無いと思うと、とても不思議に思われます。             
 でも何より不思議なことは、阿弥陀さまとのご縁です。やっとそのご縁に出遇えたこと(気づかせて頂けたこと)が不思議不思議と思わずにいられません。