お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Having Already Reached(すでに届いている)

 下記の文は、稲城選恵(いなぎせんね)師の「他力の信の特色」についての法話から引いたものです。                                   
 「南無阿弥陀仏」(が届いている)というのはね、何時でも、何処でも、誰にでも、ということになるんです。( Namu-amida-butsu having already reached us
means that it has already got anywhere, anytime and to anybody. ) 何時でも言うたら、「今」という事なんですよ。・・・・何処でも言うたら、「ここ」という事なんです。・・・・誰にでも(届いている)言うたら、「今・ここ」の「このわし」にね、ちゃんと届いているということです。これね、南無阿弥陀仏というとね、聞いて届くんじゃないんですよ。届いている法に遇うんじゃ。救いの法が、聞くより先にちゃんと届けられとる」。              

 
 「南無阿弥陀仏」は、もう既に私が聞くより先に、「今、ここに、私に」届いているのですね。(これに続く後半部分で「如来先手の法」についての説法があります)。いつも如来が私の先にあって、私に働きかけて下さっているのです。常に「先手の阿弥陀仏」なのですね。


稲城選恵(本願寺新報第3186号より)
昭和60年に勧学、平成4年から13年まで勧学寮員。浄土真宗本願寺派教学本部副部長、宗学院講師、中央仏教学院講師、学階審査会委員などを歴任。専門は真宗学。      
稲城師は先月、11月に97歳で逝去されました。師の論文の一部の抜粋等、師に関連することが当ブログでも少し取り上げてあります。
  http://d.hatena.ne.jp/miko415/20140204(とんでもない結果とは?)
  http://d.hatena.ne.jp/miko415/20120914(凡夫の正体)