お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Being Discerned by the Buddha(如来に認められる)

 お経には、“一つひとつの蓮華から三十六百千億の光を放っている”と書いてあります。この「三十六百千億」とはどういうことでしょうか。                 
 この三十六というのは六の倍数で六色の蓮華の花を表しています。『阿弥陀経』では「青色青光(しょうしきしょうこう)、黄色黄光(おうしきおうこう)、赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)、白色白光(びゃくしきびゃっこう)」と、色のもとを四色で表しています。四色あれば、大抵の色を出すことができるのです。 (中略)               
 青い蓮華は青い光を放ち、黄色い蓮華は黄色い光を放ち、赤い蓮華は赤い光を放ち、白い蓮華は白い光を放っている。それぞれが独自の光を放っているということです。人でもそうです。みんなそれぞれ違います。何億人の人がいても、同じ人は一人もいません。その一人ひとりが、だれも真似することができない、その人しか生きようのない生き方をしているのです。人の真似をして生きるなどということは到底できません。一人ひとりがみんなそれぞれの個性のままに生きているわけです。それが「いのち」の本当の姿です。       


 如来さまの目で確かめられたさとりの領域というのは、特別ではありません。仏さまの目でご覧になれば、一人ひとりが限りない尊厳さを持って輝いている者として見えるのです。 


 しかし、自分の尊厳さを忘れてみんなと同じようになろうと思い、なれないというのでひがんだり、あるいは“俺のほうが上だ”と思い上がったり、卑屈と傲慢(ごうまん)の中で振り回されている私たちですが、人の真似をする必要はないのです。一人ひとりがかけがえのない尊厳さを持って生まれてきて生きてゆくのだから、そのことを一人ひとりが確認することです。自分にしか生きられない人生を生きるのです。それが本当の生き方というものなのです。(以上は梯實圓師の説法です)
   【 『闇を照らす光の言葉』  梯實圓 淺田恵真共著 】      
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 『阿弥陀経』には、「青色青光」、「黄色黄光」、「赤色赤光」、「白色白光」と説かれ、これは浄土に咲く蓮華の花の色を表していることを説明されています。すなわち、青い蓮華は青い光を、黄色い蓮華は黄色い光を、赤い蓮華は赤い光を、白い蓮華は白い光をそれぞれが放っているということで、これは、人でもそうであると言われるのです。蓮華の花のように、一人ひとりに独自性があるということです。梯師の言葉を借りれば、それぞれが個性のままに生きているのであって、私は他人の人生を生きることはできないし、他人も私の人生を生きることはできません。そこに、一人ひとりの命の大切さ、つまり尊厳があります。梯師は“一人ひとりが限りない尊厳さを持って輝いている者として見ておられる方が如来さまである”と言われます。如来さまがそう言われるのです。誰でも、自分で自分を認めたいし、また、他人に認めてほしいと思うものですが、ほかならぬ如来さまに、もう既に認められているのです。これほど自分を肯定できて、自分に自信が持てることがあるだろうかと思います。     
 また、梯師は「『一人ひとりがかけがえのない尊厳さを持って生まれてきて、そして生きてゆく』ということを、一人ひとりが確認することが大切である」と仰います。大事にしたい言葉です。(Mr. Kakehashi says it is important that we should make
sure that we each were born with individual dignity and live on with it. I will make much of these words of his.)