お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Eyelines(目線)

 子供の頃の忘れられない思い出の一つに、鳥のように空を飛べたらどんなにいいだろうと真剣に思ったことがあります。その思いが高じてか、空を飛ぶ夢を見たことがありました。とは言っても、その飛び方は、鳥のように羽を広げてサァーッと飛ぶというのではなく、体は空中で立ったまま、家の屋根あたりまでの高さに、ふわふわと上下に浮いて、あちこちを移動するというものでした。夢の中で経験した身軽な浮揚感が、いまだに確かな感覚として残っているから不思議です。今も、トビなどの鳥が大空に羽を広げて悠々と飛んでいる姿を見ると、どんなに気持ちがいいだろうなと思ったりします。              
 ところで、鳥と言えば、「鳥瞰(ちょうかん)図」(bird’s-eye view) 《鳥の目で上から見下ろしたときのような全体の概観図》という言葉がありますが、鳥の目線で上空から見下ろす風景は、人間が地上で見る風景とはずいぶん違うでしょう。
 今、この「目線」に関して、鳥に限らず色々な種類の動物にもそれぞれの目線がありますが、動物のことはさておき、人間の目線についてちょっと考えてみました。
 よく、大人に対しては、「子供の目線に立って物事を見てみましょう」などと言われますが、一つの事柄でも、子供と大人では、その見方は大きく異なる場合が多いものです。同じように、年齢や性別、職業、住んでいる場所、環境、あるいは趣味などによって、人それぞれの目線は違ってきます。つきつめれば、一人ひとりが自分目線を持ち、100人いれば100通りの目線があることになります。そして、一人ひとりの目線に応じて感じ方や考え方が違ってきます。だからお互いに衝突することも多く、いろいろな問題が起きてくるのも当然でしょう。現に、日常生活や、世の中の様子を見れば明らかなことです。         
 ところが、この多種多様な目線を持つ人間を、慈悲の目線でご覧になり、慈悲の心で包まれるのが阿弥陀さまです。しかも、どれほど多くの人間であろうと、一人ひとりを慈悲の眼(まなこ)で見守ってくださるのです。                       
 従って、阿弥陀さまの目線で育てられるからこそ、常に自分の目線でしか物事を見ることのできない私でも、平穏で安心した生き方ができるのだと思います。ありがたいことです。 
( Therefore, even the like of me who can see things only with my own eyeline can
live a sound and peaceful life. That’s because I am nurtured by Amida’s eyeline.
I heartily appreciate the Buddha.)