お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

The Lifetime of a Cicada(セミの一生)

「蟪姑(けいこ)は春秋を識(し)らず」といふがごとし。この虫あに朱陽の節を知らんや。知るものこれをいふのみ。(曇鸞大師) (『注釈版聖典(七祖篇)』九八頁)      
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 「蟪姑」とは、セミのことです。                 
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夏の間しか生きていないセミは、当然、春や秋や冬があることを知らないでしょう。ということは、セミにとっては、春や秋や冬は無いと思っているに違いありません。しかし、私たち人間の目から見れば、春や秋や冬があることは知っています。これが「知るものこれをいふのみ」です。              
 翻(ひるがえ)って、私たちも、五十年か百年のわずかな人生、わずかな知識を持っているというだけなのに、「お浄土」と聞いても「わからない」「見てきたことがない」というだけで「無い」と決めつけているとすれば、さっきのセミと同じです。          
 「曠劫(こうごう)よりこのかた」という長い間、迷いの世界を流転し続けて、せっかくこの人間境界に生まれてきたのに、今のこの世界だけがすべてだと思って、「カネカネカネ」と鳴いて一生を終えていくとしたら、何ともさみしい人生です。それは、セミが夏の本当の意味を知らないように、私たちも、人間に生まれさせていただいた意味、この人生の本当の意味を知らないままで死んでいくことになります。                  
 私たち人間の知恵で及ばない世界のことは、「知るものこれをいふのみ」。すなわち、悟られた方の言葉に順(したが)うしかないのであって、具体的にはお釈迦さまのお言葉に順うことです。
 浄土に往生すべき道をお説きくださった「浄土三部経」のご説法に、疑いをまじえず、素直に受け取らせていただく以外にありません。          
   【 『珠玉のことばたち』 満井秀城 本願寺出版社 】       
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 私の住む地方でのセミといえば、主にアブラゼミです。うだるように暑い日中の最中に、あちこちで一斉に「ジィーッ」と鳴く声は重苦しく、暑さが一段と増幅するように感じます。
 今を盛りに鳴くセミですが、地上に生まれて、わずか一週間余りで死んでいきます。そして、ここに言われているように、セミは夏しか知らず、春や秋や冬のあることを知りません。人間も、それと同じで、無限の時の流れの中で、この地上に生まれて、長くて百年余の人生しか知りません。
 「浄土があるんだよ」と聞かされても、わかりません。わかるには、その存在を周知されているお釈迦さまに教えていただくしかありません。「『知るものこれをいふのみ』。すなわち、悟られた方の言葉に順うしかないのであって、具体的にはお釈迦さまのお言葉に従うことです」。


 お釈迦さまの教え、すなわち仏法を聞いてこそ、生まれた意義があります。セミと同じような人生で終わるなら、何とも口惜しく、悔やまれるではありませんか。
( It is to hear Sakyamuni’s teachings, or Buddhist teachings that has the
significance to be born a human being. Should your life end just like that of a
cicada, it will be very regrettable, won’t it? )