お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

We Die Helplessly(力なくして終わる)

 「なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり」( Though we feel reluctant to part from this
world, at the moment our karmic bonds to this Saha world run out and helplessly
we die, we shall go to that land.)
 私どもはみんな力なくして人生を終わるんですね。どんな権力があった人でも、どんなお金持ちでも、大学者でも、最後はひとしく力なくして終わるんです。最後は赤ん坊と一緒です。この社会の中では地位や名誉や権力があると、人を支配したりして、つい自分が何者かであるかのように思い違いをしていますが、死ぬということになったら、そんなものは何の役にもたちません。                                
 しかし、そういう、力なくして終わるときが、そのままお浄土に生まれるときだ、私どもが一番無力になる瞬間が同時に仏になる瞬間だ、と言われているのです。        
 【 『なごりをしくおもへども「歎異抄第九条」』 大峯顯 百華苑 】        
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 「力なくして終わるときが、そのままお浄土に生まれるときだ」と言っておられますが、もちろんこれは、存命中に往生の定まった人のことです。世間でよく言われる「死んだら仏」などと言うのは全く理不尽で、論外と言わねばなりません。              


 さて、力なくして終わるということは、心も体も衰えて、同時にこの世のことでは何一つ頼れるものがなくて終わるということですから、弥陀の本願を聞いている人も、この点は同じです。でも、180度違う点があります。それは、この人は阿弥陀仏を頼りにできるということです。従って、この世との縁が切れ、一番無力になる瞬間でも、何の心配もなく終わっていけるわけです。死の瞬間が浄土に生まれる瞬間です。これほどの安心があるでしょうか。