お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Fire of the Truth Catches Me(真実が燃え移る)

 信心はもちろん私において起こることですけれど、それは、私の心の在り方じゃなくて、如来様の真実の心が私の方へ燃え移った在り方なんです。火が物に燃え移るようなものです。如来様の本願の炎、情熱の炎が凡夫の私に燃え移るわけです。すると、もとはしらじらとして冷たかった私の心が、不思議にも如来様の心に溶かされて如来様に同化してしまう。これが金剛の信心です。信心ということは私と如来様とが溶け合ってしまったということですね。そういう信心の世界の不思議を浅原才市は例えばこんな詩にしています。    
 「あなた顔みりゃ不思議なあなた、あなた私で私もあなた」             
 如来様と私の区別がつかない心境です。他力の信心とは、如来様の心が私の心へ来てくださることだからです。如来様のまことの心が、如来様のところだけにとどまっているんじゃなくて、私のほうへ来てくださる。私のものになってくださる。真実の信心を本当に体験した才市は、そういう表現をするのです。阿弥陀様の前で、阿弥陀様を拝んでいたら、どうも、あの方が私と別のものとは思えない。あなたの顔を見ていたら、あなたが私であって私もあなただ、こういう表現になってくるわけです。                    
  【『念仏申さずしてをはるとも「歎異抄」第十四条』 大峯顯 百華苑 】       
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 信心ということは、「如来様の真実の心が私の方へ燃え移った在り方」である。すなわち「私と如来様とが溶け合ってしまったということ」である、と説明されています。      

 信心とは、もはや壊れることのない金剛心であると言われるゆえんです。       
(That is why shinjin is called diamond-like shinjin that never breaks down.)


 また、才市さんは「あなた顔みりゃ不思議なあなた、あなた私で私もあなた」と歌いました。「真実の信心を本当に体験した」才市さんならでのすばらしい表現だと思います。