お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Tenderness Like One’s Father and Mother(父母のような優しさ)

 親鸞の言葉39:父母のような優しさ
釈迦・弥陀は慈悲の父母(ぶも)
種々に善巧方便(ぜんぎょうほうべん)し
われらが無上の信心を
発起せしめたまひけり
(釈迦と弥陀は、すべての人々を救ってくれる慈悲の父と母だ。手を尽くして、私たちが浄土に往生するために必要な、他力の信心を起そうとしてくれる)(三帖和讃『高僧和讃』善導讃)                                      

 『浄土文類聚鈔(じょうどもんるいじゅしょう)』に「釈迦の発遣(はっけん)を蒙(かぶ)り、また弥陀の招喚したまふによりて」という一節がある。発遣とは「行きなさい」、招喚は「こちらへ来なさい」ということ。                      
 親鸞にとって、釈尊は子を旅立たせる厳しさをもった父のように、弥陀はすべてを包んでくれる懐深い母のように感じられたのだろう。そして二尊は子を見守る両親のように、つねにわれわれを見守っているというのだ。多くの苦難にぶつかりながらも仏の慈悲を信じ続けた親鸞らしい和讃だ。                  【 『親鸞100の言葉』 釈徹宗監修 宝島社 】           
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 お釈迦さまと阿弥陀さまは常に私たちに寄り添い、善巧方便(「巧みな手段。臨機応変にいろいろ巧みな方法によって人を導くこと」[広辞苑])して、最上の他力の信心を起こそうとして下さるのです。                               
 この歌を詠みますと、心が優しくなるようです。二尊の父母のような優しさが伝わってくるからでしょう。常に見守られているのですから、安心して進むことができます。    


釈迦・弥陀は慈悲の父母(ぶも)
種々に善巧方便(ぜんぎょうほうべん)し
われらが無上の信心を
発起せしめたまひけり
( Sakyamuni and Amida are our father and our mother,
Full of love and compassion for us;
Guiding us through various skillful means,
They bring us to awaken the supreme shinjin. )