Snow-covered Roads(雪道)
ここしばらく極寒の日々が続き、先日は例年にない大雪が降りました。歩道や脇道は除雪されていない所が多く、そんな時、大量に積もった新雪の道を歩くのは大変です。だから、誰か一人でも歩いた長靴の跡があれば「しめた」と思います。多少歩幅が大きかろうが、道が曲がりくねっていようがその靴跡の通りに足を運びます。他の路地でも、一本だけ細くて曲がりくねった道ができているのを見かけることがあります。自ら別の新しい道を作って歩く人はまずありません。誰かの後についていく方が容易だとわかっているからでしょう。
このようなことから思うことは、新道(しんみち)を切り開くのは大変だろうな、ということです。どの分野でも必ず先駆者といわれる人がいますが、その人たちにすれば、どれほどの苦労があったことか、と思われます。
さらにここから発展して思われるのは、仏教の先駆者である阿弥陀さまのご苦労です。境界の違う阿弥陀さまですから人間の比ではありませんが、一切の衆生の救済のために五劫にわたる思惟があったと説かれていることからだけでも明らかです。
法(のり)の道が既に開かれていたことは、何よりも有り難いことです。
(I am grateful before everything that the Buddha-way has already been achieved.)
先日の大雪の日に、悪戦苦闘しながら(と言ってもいいほど)歩いた後で、改めて感じたことでした。