Any Kind of Hearts(どんな心も)
某新聞の「悩みの相談」コラムに、このような相談が寄せられていました。
「50代の女性です。私の悩みは、自分の考え方の傾向についてです。うまくいっている人を見ると、「彼(彼女)が失敗して不幸になったところを見たい」と考えてしまうのです。
幼いころからそうでした。そして、自分が幸福なときですら、そういう気持ちがわきあがってくるのです。自分で言うのもなんですが、性根が腐っているのだと思います。
この3年ほどは、私には普通では考えられないくらい、不幸な出来事が続々と起こり、余計に人の不幸を見てみたいという気持ちが加速したような気がしています。
たとえば、将棋の藤井聡太七段や、大リーグに行った大谷翔平選手。彼らの華々しい活躍を見たり聞いたりすると、ただただ気分が悪くなります。
彼らだって普通の人以上に努力して、苦しいことだってある。おそらくそうであろうことは、頭では理解できています。
しかし、理屈ではなく本能的に、「落ちぶれてしまえばいいのに!」と思う気持ちを抑えることができません。
こんなふうに思っていたら、自分だって不幸になることはあっても、幸福になることはないわけで、得することはないからやめたいのです。
人の幸せを一緒に喜べる人間になるため、何か出来ることはないものでしょうか?」
これほど赤裸々に胸中を吐露する人も珍しいのではないかと思います。
人の心は「感情のるつぼ」であると言った人もありますが、私はこの文を読んだとき、亡き母が言った言葉を思い出しました。いつも穏やかで、優しい母という思い出しかない母ですが、ある時、とてもイライラした様子で、何かに憤慨していたことがありました。そして、怒っても当然だと自分自身を納得させるかのように「人にはどんな心もあるもんね」と、念を押すように言ったのです。仏さまのように優しい心もあれば、鬼のように恐ろしい心もあるということだと理解してきました。
仏教では、貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴という三毒の煩悩を教えられていますから、上記のような文を読んでも、こういう心もあるだろう、くらいに受け止められますが、心の内を包み隠さずに表現している女性には、むしろフランクで正直な人という感じを持ちます。
ところで、この相談に対する回答者の文の内容はよく覚えていないのですが、「あなたは(悪い人でもなく、良い人でもない)普通の人です」との言葉が印象的でした。( By the way, I have not well remembered the replier’s answer for this woman’s
consultation, but his words “ You are not a bad person nor a good person but are an
ordinary person,” were impressive. )