自力に対する執着 ( Adherence to Self-power )
「まあさてあらん」とおおせらるれば(「ああ、そうだったのか」とつぶやかれました)『恵信尼消息』
越後の国を出発して関東に向かっていた親鸞が、上野(こうずけ)の国(群馬県)の佐貫(さぬき)に滞在していたときに、高熱に浮かされて、うわごとのように、「ああそうであったのか」とつぶやいた、というのが、ここに述べられている言葉の意味です。それは、彼が四十二歳であった1214年のことです。
そのころ、流行病(はやりやまい)によって多くの人々が死んでいったのですが、何とかしてそれらの人々を助けてあげたいと願った親鸞は、「浄土三部経」を千回読誦しよう、と思いたちました。
ところが、その途中でハッと気づいたのは、「何ということをしていたのだろう。念仏以外は何の善行も必要ないはずなのに、経典を読誦(どくじゅ)して、その功徳によって人々を救おうなどとは、とんでもない考え違いをしていたものだ」ということで、さっそく経典読誦を中止したのです。このエピソードは、浄土真宗で最も大切である「絶対他力を信じきる」ということが、いかに難しいかを示しています。
西方極楽浄土で仏になるためには、どんな自力も役立たずなのです。
【 『親鸞の人生訓』 花山 勝友 】
親鸞聖人ほどの方でも間違われることがある。このことにインパクトを感じます。そして、人の自力に対する執着というものが、どれほど強いかが知らされます。
また、「善行とは「念仏」以外には無いことが浮き彫りになりました。(It was revealed
that we have no other good deeds except the Nembutsu. )」