お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

煩悩のしわざ (The Works of Blind Passions) ② 

 果てしなく遠い昔からこれまで生まれ変わり死に変わりし続けてきた、苦悩に満ちたこの迷いの世界は捨てがたく、まだ生まれたことのない安らかなさとりの世界に心ひかれないのは、まことに煩悩が盛んだからなのです。                    

  (略)                                    

 おどりあがるような喜びの心が湧きおこり、また少しでもはやく浄土に往生したいというのでしたら、煩悩がないのだろうかと、きっと疑わしく思われることでしょう。    

 このように聖人は仰せになりました。[『歎異抄』(現代語版)第九章 ]         

 この世に生きていて、楽しいことより、苦しいことのほうが多いのが人生ではないでしょうか。でも、この世の縁は捨てがたく、いつまでも生きていたいと思うものです。これも、煩悩のなせるわざであると言われます。                       

 聖人の、「少しでもはやく浄土に往生したいというのでしたら、煩悩がないのだろうかと、きっと疑わしく思われることでしょう。( “ If we wished to go to the Pure Land quickly, we might wonder if we weren’t free of blind passions.” ) 」の言葉からは、煩悩があってよかったとさえ思うのです。なぜなら、阿弥陀如来は、このような煩悩に常に苦しむ私たちだからこそ、哀れに思われ、何としても助けなければならないと本願を成就して下さったのですから。