すべてまぼろし ( All Are Illusions )
火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたわごと、まことあることなきに『歎異抄』後序 (火事のように無常なこの世界は、すべては夢かまぼろしで、本当に存在しているわけではありません)
おそらくこの言葉は、親鸞が心から尊敬していたと思われる聖徳太子が遺した、「世間虚仮(せけんこけ)を受けたものだと考えられます。
まことにこの人生は、いつかは必ず死んでゆかなければならないはかないもので、おまけに、その間に起こるすべての現象も、夢幻(ゆめまぼろし)のようなものです。
“火宅”とは、『妙法蓮華経』の中に出てくる譬喩の言葉で、わたくしたちが住むこの世界は、ちょうどこの火事にあってまさに焼け落ちんとしている家のようなものだ、という意味です。
生まれたものはやがて死に、作られたものもいつかは滅びる。
というのが、この世の真実の姿なのですが、そのことに気がつかないで、ついついこの世に執着してしまうのが、欲望多き人間の常でしょう。そのような無常な人生に気がついたとき、それでは、わたくしたちは、いったい何を頼りに生きていったらよいのでしょうか。そして、頼りになる真実の存在こそが、大きな仏の本願であるのです。
甚大な被害をもたらした台風19号や大雨は、この2週間を経過した今(25日現在)も、被災地では無情にも断続的に雨が降っています。再び大雨警報が出されている所もあり、堤防や道路が決壊する不安も大いにあります。また、今までに90人以上の死亡が確認されていますし、行方不明の人たちもいます。このような状況下では、存在していたものが瞬く間に壊されたり、人の命もあっという間に奪われたりと、はかないものです。まさに火宅無常の世界であり、すべてまぼろしのようです。
では、まぼろしでない真実の存在ってあるのでしょうか。幸いにもあったのです。
「ただ一つ、真実の存在、それは仏さまの本願です。唯一頼りになる存在です。( The
only true existence in this world is the Buddha’s Primal Vow, and it is the only reliable
being. )」