もう十分ということはない ( It Isn’t Still Enough )
法敬坊(ほうきょうぼう)は九十の年までご存命でありました。その法敬坊が、「この年になるまで仏法を聴聞させていただいたが、もう十分聞いた、これまでだと思ったことはない。仏法を聴聞するのに飽きた、足りたということはないのである」といわれました。『蓮如上人御一代記聞書』(四八)
「仏教は、たとえ何十年聞いても、もうこれで十分聞いたということはないのである。(Even if you hear Buddhism for dozens of years, it isn’t still enough,)」と法敬坊は言われました。この思いは、おそらく聴聞する人、誰にも共通するのではないかと思われます。私自身も何回おなじことを聞いても、新鮮に聞こえるので不思議だなぁと思うからです。