阿弥陀仏に救われた人こそ最も幸せな人である
1948年、73歳でお亡くなりになった飛騨高山の中村久子さんは、突然性脱疽(だっそ)を患い、両手両足のないままのご生涯を深く生きられました。
中村久子さんが、口でお書きになった字や絵は、両手両足のある私達には及びも付かない立派なものでした。
お念仏の生活にまだ入らない頃に作られたお歌に「宿世にはいかなる罪をおかせしや
おがむ手のなきわれはかなしき」があり、本願念仏のみ教えを聴聞され、お念仏の生活に入られてからのお歌にはが「手はなくも足はなくともみ仏の そでにくるまる身は安きかな」があり、そこに、安心と満足と喜びをもって生きられた人生が、限りなく開かれていたのでした。(珠洲市 真宗大谷派了覚寺住職 中野 昭)
【 明日をひらく 『 一期一話 』 北國新聞社 】
中村久子さんという方は、突然性脱疽という想像を絶するほどの難病を患われたのでした。しかし仏陀の言葉にありますように、「苦しみが避けられないということを知っている者には、苦しみも悩みもない」と、中村さんは病気から逃げるのではなく受け入れられたに違いありません。そして仏の教えを熱心に聴聞し、阿弥陀仏に救われたのでした。
山あり谷あり、どちらかと言えば苦しみの多い人生です。このような中、
The very person who was saved by Amida Buddha is the happiest one. (阿弥陀仏に救われた人こそ最も幸せな人)だと思います。