殺生しながら生きる他ない(There Is No Other Way to Live without Killing Other Lives)
- いのちをいただいている自覚はあるか
朝から晩まで、牛肉を食べたり、豚肉を食べたり、さんまやマグロを食べたり、野菜も含め、生きものを殺して平気で暮らしながら、自分は善人だと威張っている。
いわし一匹頂戴するにつけても、ああ、こうして、毎日、生きものの生命のおかげさまで、生活しているのか! 毎食、動植物のいのちを殺して生きなくては、一日として生きられない。わたしが生きるには、殺生する悪人でなくてはならなかった。
自分がふと、毎日頭で何を考えていたのかと、冷静に自分の心の奥底を見極めてみると、善人ぶって胸を張って傲慢ではいられなくなった。
邪正もわかぬこの身なり (高僧和讃)
わたしは、謙虚なようでいて実は自我意識が強く、自分だけは正しい人だと思っていた。高慢な人の欠点は、反省心、内省心がない! 反省心がなくなると、背のびばかりして真実の世界がメチャクチャになって、現実の一断面しか見えなくなる。
ここに書かれていることは、すべて自分に当てはまります。せめて、無駄な殺生はしないように心がけたいと思いますが、その心に自惚れてしまい、当たり前のように殺生してしまう自分がいます。
高僧和讃の「邪正もわかぬこの身なり(何が邪であり、何が正であるのか分からない)」という言葉は真実だと言えます。
悪しかできない人間だからこそ、阿弥陀仏は衆生を憐れみ、救わずにはおかないという本願を立てて下さったのです。どこまでもお慈悲の仏さまです。