お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

2022-01-01から1年間の記事一覧

念仏は、あなたを即、幸福にする ( Nembutsu Make You Happiness at Once )

感謝は、全身のパワーをかきたてる アミダ仏とは、宇宙の永遠のいのち、宇宙の永遠の光である、 後世になって、阿弥陀仏は、姿を持つ。が、本来、姿や形はない。 目には見えない、尊い人のいのちの大元の、宇宙の生命を、アミダ仏と言うのだ。 その宇宙の生…

カレンダーの言葉 ( The Words of Calendar )

生活の中で 念仏するのでなく 念仏の上に 生活がいとなまれる ( 和田 稠(しげし)) この言葉は、我が家の部屋に掛けてあるカレンダーの言葉です。生活の中で念仏するのでなく、常に念仏を中心とした生活をしなさいということです。念仏の尊さを感じ、生き…

生き仏が、すぐそこにいる ( Living Buddha Is Close There )

これが親鸞の「信心」の世界 仏さまに会いたい! 高野山に行ったら、会えるだろうか。比叡山に行ったら、会えるだろうか。 長野の善光寺に行ったら会えるだろうか。中国の五台山に行ったら、会えるか? 京都へ行っても、奈良へ行っても、生きている仏さまは…

あなたは常に、満たされている ( You Are Always Satisfied )

こんなふうに考えてみないか 暑い夏の日ざかり、のどがカラカラになって、水を飲む。ゴックン……。 そのとき、あっ、こんなにうまい水を、みんなも、飲んでいるのだ、と思ったことは、ない。うまい水を飲んで、「あっ、うまい!」と喜んでいるのは自分だけだ…

仏教の教える「因縁」について( About a Fatality That Buddhism Teaches )

仏教では「因縁」について次のように教えています。 [仏] ものごとの生ずる原因。因は直接的原因、縁は間接的条件(因と縁は同義にも用いる)。また、因と縁から結果(果)が生ずること。縁起。転じて、定められた運命。(広辞苑) 世間には、縁に関する色々…

苦悩の多いこの世界も、捨てがたいもの ( This World Is Also Painful, but It Is Hard to Neglect It )

久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生れざる安養浄土はこひしからず候ふこと、まことによくよく煩悩の興盛(こうじょう)に候ふにこそ (歎異抄) 「はるか昔から今までずっと生死をくり返してきたこの苦しみに満ちた世界は捨てがた…

困っている人ほど心をかける(We Should Do Care a Lot to a Person Having a Trouble)

病子において心すなはちひとへに重きがごとし。大王、如来もまたしかなり (教行信証) この言葉は『涅槃経』という経典から引用されたものです。「7人の子どものうち、1人が病気になれば、親の心は平等であっても病気の子にはひときわ心をかけるものである…

理屈では説明できないものがある ( There Is Something beyond Explanation by Theory)

念仏には無義をもって義とす (歎異抄) 義とは「はからい」や「分別」を表す言葉。本願他力の念仏においては、自分の都合で判断したり、理屈で考えたりすることはしません。「念仏を称えれば、よいことがあるかもしれない」などという勝手な意味づけは、し…

師や親を非難するのは罪である ( It Is a Sin that Criticize One’s Mentor or Parents )

師をそしるものをば、謗法(ほうぼう)のものと申すなり。おやをそしるものをば、五逆のものと申すなり (親鸞聖人御消息) 「謗法」は仏教の教えを非難すること、「五逆」は父や母を殺すなどの五つの重い罪で、Ⅰつでも犯せば無間地獄に落ちるとされています…

「行い」と「心」は離れずにあるもの (“ Action” and “ Heart” Are Not Separate with Each Other)

行をはなれたる信は、なしとききて候ふ。また、信をはなれたる行なしとおぼしめすべし(末灯鈔) 親鸞は行(念仏)と信(信心)は表裏一体のものであると考えていました。信心のない念仏も、ニセモノであるということです。「念仏には無義をもって義とす」と…

おのずと起こるはたらきを受け入れる ( Take the Works That Happen Naturally )

自然(じねん)といふは、「自」はおのずからといふ、行者のはからひにあらず。「然」といふは、しからしむといふことばなり )(親鸞聖人御消息) 「自然」とは、行者(念仏者)のはからいではなく、阿弥陀さまの願いによっておのずと起こるはたらきを意味し…

「どう死ぬか」にこだわる必要はない ( There Is No Need to Be Particular about How to Die )

まづ善信(親鸞)が身には、臨終の善悪をば申さず(末灯鈔) 誰でも「できるだけ苦しまずに死にたい」「穏やかな死を迎えたい」などと一度は考えたことがあるのではないでしょうか。私たちはとかく先のことに心が奪われがちです。起こるかどうかわからないこ…

よく考え、流されずに生きる( Think Securely and Live, Not Being Carried Away by Others’ Words)

聞思(もんし)して遅慮(ちりょ)することなかれ (教行信証) この言葉は『教行信証』の初めに出てくるもので、「聞思」は聞くこと、そしてそこから考えを深めることを意味し、「遅慮」は疑問を感じてとまどい、前に進めなくなってしまっているさまを表し…

決して逃れられない煩悩を抱えながら生きる (We Live Having Worldly Desires Which We Never Escape from Them)

煩悩、眼(まなこ)を障(さ)えて見たてまつらずといえども、大悲、ものうきことなくして常にわれを照らしたまうといえり(正信偈) もっと欲しいと常に求め続け、満足することのない「欲」、心にめらめらと湧き上がってくる「怒り」、他人への妬みやそねみ…

目の前の道を進むかは自分で決める (You Must Determine by Yourself Whether You Take Up Your Own Way or Not)

詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなりと云々 (歎異抄) この言葉は、遠く離れた土地から命がけで親鸞を訪ねてきた人たちに対して、親鸞が述べた言葉の一…

「心を改める」は人生に一度だけ( “ People Mend the Heart “ Is Only Once in the Life )

回心といふこと、ただひとたびあるべし(歎異抄) 「今日もイライラしてしまった。明日こそは穏やかな心でいよう」などと誓いを立てることは誰にでもあるでしょう。しかし、あらゆることに回心する(心を改める)のは「悪を断ち切って、善をおさめれば黄土に…

思い通りに助けられなということを知る ( We Know That We Cannot Save Others as We Wish )

今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし(歎異抄) これは聖道門(自力)と浄土門(他力)の慈悲について親鸞が述べた言葉の一節です。聖道門の慈悲はすべてを憐れみ、慈しむことですが、思うがまますべて…

人は何をするかわからない危うさを持っている ( Persons Have Danger not to Know What They Do )

さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまひもすべし(歎異抄) 私たちは自分の行いを自分自身で決定していると思いがちです。たとえば今現在、悪事に手を染めていないのは、自分が善人だからと思ったりしていませんか。 しかし、「しかるべき縁があれば、…

「この道を歩む」と決める ( To Decide to walk This Way )

念仏者は無礙の一道なり (歎異抄) 「無礙」とは、何にも妨げられるものがないことを意味します「念仏をする人は何ものにも妨げられることのない一筋の道を歩むものだ」というこの言葉の後には、「阿弥陀さまの本願を信じて念仏を称える人にはあらゆる神が…

この世に生きる人は皆つながり合っている (All People Who Live in This World Connect Each Other)

一切の有情はみなもって世々生々(せぜしょうじょう)の父母・兄弟なり(歎異抄) 「生きとし生けるものはすべて輪廻転生を繰り返しているので、あるときは父母であり、ある時は兄弟なのである」というこの言葉は、命あるものが皆つながり合いながら生きてい…

如来は衆生を一子のごとく憐念す( Buddhas Feel Pity for All Sentient Beings Like Only Child)

超日月光この身には 念仏三昧をしへしむ 十方の如来は衆生を 一子のごとく憐念す (浄土和讃) ※ 超日月光;阿弥陀仏の光明(仏の智慧の徳を示す)の徳を十二種に分けて称讃したもの。また、十二光仏ともいい、『大経』に述べられている。 ※ 念仏三昧;心静…