2015-01-01から1年間の記事一覧
最近の朝日新聞に、同新聞が読者の紙面モニターに実施した、宗教に関するアンケートの結果が出ていました。回答者数は1956人で、まず、「神や仏を信じますか」という問いには、「はい」が58%、「いいえ」が42%でした。この「はい」と答えた人のうち、「ど…
もう六月も下旬に入り、つい先日、私の住む地方の梅雨入りが発表されました。例年より一週間ほど遅れているそうです。今、いつも行く公園のあじさいの花が見頃を迎えています。約500メートル続く「あじさい通り」と名づけられた通りの両サイドの山肌には、色…
私たちは、日々煩悩(自己中心性)に縛られて、すべてを自分の思い通りになるようにと生涯をかけて追い求め暮らしていますが、そうした人生のいただき方(目標)は思い違いであるよと気づかせてくださるのが阿弥陀さまです。 例えば、それは「この身」に起こ…
浄土真宗のご本尊、阿弥陀さまは、さとりそのものが現れてくださった仏さまだと、親鸞聖人は明らかにしてくださいました。 このさとりのことを「無分別智(むふんべつち)」ともいいます。とても難しい言葉ですが、簡単に意味を窺うと「あらゆる物事を分け隔…
まづ当流の安心のおもむきは、あながちにわがこころのわろきをも、また妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよといふにもあらず。 ただあきなひをもし、奉公をもせよ、猟・すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬるわれらごときのいた…
ある時、伊勢から女性のお同行が、「おそのさん」のところへやってきました。そのお同行が尋ねたことは、 「長いことお聴聞しておりますが、どうしても疑いが晴れません。後生こそ一大事と言われますが、その一大事が一大事と思えないし、阿弥陀さまの救いが…
先月の新聞に掲載された、「高齢者 交流少ないと健康リスク」の記事に、目を引かれました。日本の、ある二つの大学の研究チームが、高齢者の健康な男女約1万2千人を対象に、同居者以外との交流頻度と健康リスクとの関連を、約10年間追跡調査した結果をまとめ…
この頃、気がつけば、一番多く対話している方は阿弥陀さまです。私の心の中は喜怒哀楽の感情に満ちています。「煩悩の犬は追えども去らず」と言われるように、まさに煩悩具足の凡夫です。 嬉しいこと、悲しいこと、つらいこと、悩んでいること等を、洗いざら…
この前採ってきたワラビで気づいたのですが、帰宅してから、それを新聞紙の上に広げると、ワラビの中から3ミリ程度の小さな、小さなアリがたくさん出てきました。どうもアリは、ワラビの先の部分が好みのようで、そこに付いていたものだと思われます。新聞紙…
先月の下旬、ウォーキングに出かけた時のことです。近所のTさんの「もうワラビ出ているかねぇ」の言葉を思い出し、ふと、その場所を覗いてみようという気になりました。例年、ワラビが出る公園の一角に行ってみました。なんと、出かけのワラビが、つく,つく…
ある時、(源左が)田んぼへ「田の草取り」に行っていたら、突然、夕立がやってきて、雨具の用意をしてなかったから、とぼとぼと帰ってきた。その帰る途中で願正寺のご住職と出会ったのです。ご住職が、 「爺さん、よう濡れたのう」 と言うと、源左は、 「有…
源左さんの甥の孫に当たる方に、足利敏夫という方がいらっしゃいました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 子供の頃、源左さんと一緒に田んぼに行ったというのです。まだ小学生の頃です。家は別ですけども、同じ村内…
ドイツの哲学者ニーチェ(1844−1900)は、「各人がそれぞれ自己自身にもっとも遠い存在である」 と言いました。 この言葉に対して、鷲田清一氏(哲学者・1949− )は「折々のことば」(朝日新聞)の中で言っています。「『道徳の系譜』のなかで引かれているド…
まず、激流ということですが、これは私たちの生きている世界を大きな激流に譬えているのです。煩悩に縛られ、支配されている私たちは、激しく流れる水に押し流されているようなものだというのです。 また、煩悩のことを暴流(ぼる)ともいいます。これも勢い…
『大無量寿経』には、阿弥陀仏が法蔵菩薩であった時の、十方衆生を仏にできなかったら私は仏にならないという誓願が、十劫の昔に既に成就して、現在、阿弥陀仏となって活躍されていることが説かれています。私たちは今、その阿弥陀仏の活躍されているこの世…
ここ数日、急に春めき、暖かい陽ざしに恵まれました。いつもの公園にウオーキングに出かけましたが、そよぐ風が柔らかく感じられました。高く青い空に、白く細長く伸びた二筋の飛行機雲が、音もなく次第に遠くへと消えていきました。はるかに見える雪を頂い…
人間、人一人に六十兆を超す膨大な数の細胞が働いてくれているそうです。これらの一つひとつを目にすることはできませんが、私たちが気のつかないところで、それぞれ役目を果たしてくれています。しかも何のお返し、お礼も求めずに、ただ黙々とです。体中に…
今から20年ほど前、「家なき子」というドラマがテレビで放映されました。主役は安達祐実、当時10歳の子役でした。演技も上手く、そのドラマの中で、たびたび彼女が言った台詞、「同情するなら金をくれ!」の言葉は、新語・流行語大賞に選ばれ、視聴率は31%…
町なかや駅には「案内板」があって、町の様子が書かれています。でも大切な目印が無くては、それは単なる絵図でしかありません。 その目印は、「現在地」という表示です。今、自分のいるここの現在地が明らかにならなければ、目的地に向かってどちらの方向に…
私の“いのち”の目的地が、もし設定されていなかったら・・・。私はどこに向かえばいいのか迷ってしまいます。考えてみれば私には、私の“いのち”の目的地をつくることは、できません。だからこそ、阿弥陀さまはすでにお浄土をご用意してくださっていたのでし…
私の先輩で五十五歳のUさんは一昨年の十一月八日、膵臓癌でお亡くなりになりました。その前夜、病床を見舞うことができ、これが最後とお互いわかっておりますから、実に濃密な時間を過ごすことになりました。 病室を辞す時、今までのご交情にお礼を申した私…
親鸞聖人の『浄土和讃』讃阿弥陀仏偈和讃の中に 光り雲のごとくして さはりなきこと 虚空のごとし 一切の有礙(うげ)にさはりなし There is nothing impedes it. > という和讃があります。 これについて、『闇を照らす光の言葉』の中で、淺田恵真師の次のよ…
因念寺(大阪)の住職、淺田恵真師は、師の恩師である土橋秀高(しゅうこう)師の波瀾に満ちた晩年の様子を通して、阿弥陀仏の慈恩について説法されています。その内容について『闇を照らす光の言葉』の中で語られていることをまとめてみました。 まず、土橋…
方向転換するのも今です。今、何が正しいか、何が間違っているかということに気づくのです。気がついたからといって、みんなすぐに直るわけではありません。 (中略) 少しずつですけれども、過ちを過ちとして、正しいものを正しいものとして承認してゆく。…
二月に入り、厳しい寒さが続いています。ウオーキングに出かけても、冬の景色は単調で華やかさがありません。でも、私のお気に入りの公園には、すっかり葉っぱを落とした裸木の木立が所々にあり、今年の冬は、これら裸木に思わぬ発見をしたのです。取り立て…
教えというのは、私たちに何が本当かということをまず知らせます。私たちにとって一番大事なことは、何が本当かということを知ることです。それがわかれば、少しずつでも軌道修正してゆこうという心が出てきます。これが正しい、これは間違いだということが…
お経には、“一つひとつの蓮華から三十六百千億の光を放っている”と書いてあります。この「三十六百千億」とはどういうことでしょうか。 この三十六というのは六の倍数で六色の蓮華の花を表しています。『阿弥陀経』では「青色青光(しょうしきしょうこう)、…
浄土の言葉のことを、『大無量寿経』の「華光出仏」には“光の言葉”と書いてありますが、その光の言葉をもって私たちの心の闇を照らし、さとりの世界へと私たちを導き、育てていてくださる。その仏さまに、今遇わなければ遇う時はありません。死んでから遇う…
(表紙)智慧・慈悲のはたらきそのものが「仏」なのです(板東 性純) The working of wisdom and compassion itself is the “Buddha.” (1月)称えるままがつねに御本願のみこころを聞くことになる(香樹院 徳龍) Simply saying Namo Amida Butsu is itsel…
新たな年を迎える節目にあたり、いま一度みずからを見つめなおし、確かな足どりで人生を歩みたいものである。 蓮如上人は年の始めに、勧修寺(かしゅうじ)村の道徳に次のように仰せになった。 道徳はいくつになるぞ 道徳念仏申さるべし 一つ年を重ねるにあ…