お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

2020-01-01から1年間の記事一覧

煩悩の成せるわざ ( An Act of Worldly Desires ) 

「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里(きゅうり;故郷。迷いの世界)はすてがたく、いまだうまれざる安養浄土はこいしからずそうろうこと、まことによくよく煩悩の興盛(こうじょう;強く盛んなこと)にそうろうにこそ」 [『歎異抄』第九条 ](意味;果…

『ありがたい深い話』( Edifying Deep Sermons )(11)

明治期の大谷派の教学者・清沢満之師は、論語の「人事を尽して天命を待つ」という言葉に対して、「天命に安んじて人事を尽くす」と述べられました。清沢師は、死期の迫った身で、『他力の救済』という文章を著しています。 人間の一生は、辛いことや思い通り…

桜の催促 ( Demands from Cherry Blossoms ) 

この季節、公園も、道路沿いも、川べりも、遠くに見える山々も、桜が満開です。場所によっては、そろそろ、あるいは、かなり散り始めている所も。 小林一茶は「死に支度(じたく)致せ致せと桜かな」と詠みました。今年は前例のないコロナウイルスに襲われて…

未来が分からない不安 ( Anxiety to the Unknown Future ) 

4月4日付けの朝日新聞は、世界で猛威を振るう新型コロナウイルスの感染者が100万人を、そして死者数も5万3千人を超え、コロナウイルスとの未知の闘いに出口が見えないと報じていました。 未来がはっきり分からないことほど不安なことはありません。コロナウ…

『ありがたい深い話』( Edifying Deep Sermons ) (10 )

他人の死に臨んで、人はだれしもが今ここに生きていることの不思議さを感じるでしょう。 亡くなられた人はこの世の縁尽きて横たわっているのですが、ここに座っている自分は縁尽きずにいることに説明がつかないのです。わが計らいを超えたいのちの存在の不思…

『あいさつは心をつなぐ潤滑油』  (投稿)

(富山新聞「地鳴り」投稿欄に私の投稿が掲載されました) 私のウォーキングの場は、近くのサイクリングロードです。先日ウォーキング中、青年が元気な声で「おはようございます」と、先にあいさつをしてくれました。爽やかな気持ちになりました。 ある朝、8…

実にすばらしい言葉 ( Really the Splendid Words ) 

煩悩にまみれた私たちは、常に苦しみや悩みに惑わされます。そのような時はどうしたらよいのか、大峯顯師は自著の中で、「阿弥陀仏に相談したらいいのです」と仰っています。たとえば、自身が「私は(これこれ、このようなことで)悩んでいますが、どうした…

僧侶によるネット配信 ( Live Delivery Online by the Priests )

3月21日と22日の2日間、19:30~22:00の時間帯に、浄土真宗大谷派の僧侶4名の方による、ネットでのご法話ライブ配信がありました。 現在、世界が新型コロナウイルス肺炎の感染拡大に悩まされています。このような状況下、ウイルスの拡大を防ぐためにも、ネ…

『ありがたい深い話』( Edifying Deep Sermons )(9)

人の世は無常で、しばしば予期せぬ苦が訪れます。しかし、どのような人生であろうとも、そこから、生かされ、生きることを学び取ることができます。 生きていて良かったと、うなずくことのできる人生こそ、誠に尊く有り難い人生と思わなければなりません。そ…

『ありがたい深い話』( Edifying Deep Sermons )(8)

「生あるものはかならず死に帰し、さかんなるものはついにおとろうるならいなり」(蓮如上人御文) 現代の私たちは、ややもすると生のみを追い求め、死に関するものはできるだけ遠くへ押しやっており、死というものはだんだん見えにくくなって来ているようで…

書き記す ( Write Down ) 

新しい時代の人は、昔のことを学ばなければならない。また、古い時代の人は、昔のことをよく伝えなければならない。口で語ることはその場限りで消えてしまうが、書き記(しる)したものはなくならないのである。『蓮如上人御一代記聞書』(四五) 「書き記し…

名体不二 ( The Name and the Body Are Nonduality ) 

「名体不二とは、阿弥陀仏の名号とその仏体とは一つであるということです。( The Name of Amida Buddha and the body are nonduality. )。色も形もましまさぬのが阿弥陀仏であると言われます。でも阿弥陀如来のお姿は、絵像や木像となって示されています。で…

『ありがたい深い話』( Edifying Deep Sermons )(7)

みんな「死は永遠の別れ」だと思っています。この世とあの世、絶対会えない二つの世界に、別れ別れに棲むことだと思っています。だけど果たしてそうかしら? 死なれてみて、逆にはっきりとその生涯が見えてきます。もう争いも憎しみも消えて、人生の先達とし…

包まれている ( Being Wrapped ) 

『蓮如上人御一代記聞書』[ 100 ] には、「弥陀を信じておまかせする人は、南無阿弥陀仏にその身を包まれているのである。(Those who believe in Amida Buddha and leave them to the Buddha are being wrapped by Namu-amida- butsu. )」と、書かれています…

もう十分ということはない ( It Isn’t Still Enough ) 

法敬坊(ほうきょうぼう)は九十の年までご存命でありました。その法敬坊が、「この年になるまで仏法を聴聞させていただいたが、もう十分聞いた、これまでだと思ったことはない。仏法を聴聞するのに飽きた、足りたということはないのである」といわれました…

『ありがたい深い話』( Edifying Deep Sermons )(6)

「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき・・」と詩(うた)い、信心の人は「むなしく生死にとどまることなし」と、親鸞は述べます。 人と生まれて、虚しく一生を終わりたくない― 、これこそ人としての一大事であります。「成功も失敗も夢のごとく過…

『ありがたい深い話』( Edifying Deep Sermons )(5)

かけがえのない命と人生の尊さを、亡くなった人は語りかけてくださいます。そして残された私たちは、こころの底深く願います。この世での勤めを終えた暁には、かの安楽の浄土で倶(とも)にお会いすることを。 「倶会一処(くえいっしょ)」。こけむした古い…

『ありがたい深い話』( Edifying Deep Sermons )(4)

親しい人、愛しい人とのお別れは、人生においての苦しみであり、また、悲しみでもあります。その苦しみ、悲しみはだれしもが出会って行かなくてはならないものです。 「散る桜、残る桜も散る桜」といわれるように、いずれ散る桜となる時が来るのです。それを…

初積雪 ( The First Snow ) 

2月6日、私の地域に、今冬ついに初積雪がありました。深さは約10cm。朝、カーテンを開けると外は白一色。辺りの木々がすべて白い花を咲かせたように、とてもきれいな風景が広がっていたのです。 今冬、最強の寒波が日本全土を襲ったそうで、初積雪の所も多か…

暖冬 ( A Mild Winter ) 

1月20日の大寒の入りから2月3日の節分までの、いわゆる大寒と呼ばれる期間中、「今年は暖冬異変と思われる現象が見られます。( We are having an unusually mild winter this year. )」。今冬は、私の知る限りでは、2月1日に約10分間みぞれ交じりの雪が散ら…

『ありがたい深い話』( Edifying Deep Sermons ) (3)

人の死は、つらく悲しい。だれもが逃れがたい。自分の死は、不安と恐怖と絶望である。それゆえに「教えが必要である。それこそが浄土真宗という仏教である。 親鸞聖人は「生死出づべき道」と教えて下される。不安と恐怖と絶望のふちから解放してくれる。そし…

『ありがたい深い話』( Edifying Deep Sermons ) (2)

この世の中の一切のものは、みな無常であり、すべて移り変わるものです。人間の姿も全部移り変わって行きます。きょうの私は、もうあすはありません。何かが変わっています。 人生というのは諸行無常だと得心し、その中にあって永遠に変わらないもの、真のよ…

『ありがたい深い話』 ( Edifying Deep Sermons )(1)

父が亡くなって、引き出された白骨と向き合ったとき、取り囲んでいた私たちは次第に頼りない存在になっていった。 その時、「おまえの毎日していることを、ここから一度見直して見よ」と父の声を聞いたと語った方が忘れられない。 「生のみが我等にあらず、…

きびしい言葉 ( Severe Words ) 

奥州(おうしゅう)に、浄土真宗のみ教えを乱すようなことを説いている人がいるということをお聞きになって、蓮如上人はその人、浄裕(じょうゆう)を奥州から呼び寄せ、お会いになりました。上人はひどくお腹立ちで、「さてもさても、ご開山聖人のみ教えを…

見守られていることの幸せ ( The Happiness by Being Watched ) 

苦しいときでも、黙って自分を温かい目で見守ってくれる存在があると感ずるだけで、生きていくうえで大きな支えになります。私は仏さまに支えられていると感じていますが、人によっては、それが親であったり、おばさん、恩師、友人であったりするのではない…

ヒゲをそりながら念仏を称える ( Say the Nembutsu while Shaving ) 

摂津(せっつ)の国、郡家村(ぐんけむら)に主計(かずえ)という人がいました。いつも絶えることなく念仏を称えていたので、ひげを剃るとき顔のあちこちを切ってばかりいました。ひげを剃っていることを忘れて念仏を称えるからです。「世間の人は、ことさ…

こころを休める( Relaxing One’s Heart ) 

環境を変えられなくても、できることはあります。「私はどこにいるときでも、手を合わせて静かにお念仏を称える時間を大切にしています。( Wherever I am, I value the time when putting my hands together and say the Nembutus quietly. )」。動き回りた…

よくよく案ずれば ( Considering Deeply ) 

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、親鸞一人がためなりけり」と、親鸞聖人は『歎異抄』後序で言っておられます。 阿弥陀仏は、もしすべての衆生が仏にならなかったなら、自分も仏にならないという本願を立てられました。結果として、既に仏になってお…

病苦すら修行の場 ( Even Pain of Sickness Is an Ascetic Place )

山岡鉄舟は晩年、胃癌になり、最後はガンの複腔(ふっこう)転移で亡くなりました。しかし、病を得ても生き方は変わりませんでした。 「お医者さん、胃癌、胃癌、ともうせども、いかん中にも よいとこもあり」などと戯書(ざれがき)して笑ったりしていたと…

慈悲の極み ( The Extremity of Compassion )

己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり / 最澄 自分自身のことなど忘れてしまって、ただ相手の利することを考えて行動する。最澄はそれこそが慈悲の極みなのだと説いています。 言い換えると、困っている人に手を差し伸べようとするときは、自分のことは忘…