お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

2020-01-01から1年間の記事一覧

「何かのために」の「ために」を捨てよ ( Throw Away “for” of “for Something” )

無功徳 / 景徳伝燈録 将来のために貯金をする。若々しくいるために運動する。人は何かの「ために」努力をしようとします。それは、「善いことにつとめれば、善いことが返って来る」と考えているからです。 梁(りょう)の皇帝であった武帝も、そう考え仏教を…

すべて百点と考える ( Thinking All Is a Hundred Points. )

般若 / 般若心経 仏教の智慧は世間の智慧とは違っています。世間の智慧は善悪や優劣を分別して価値判断をしようとしますが、仏教は逆に「分別するな」と教えています。無分別こそが仏教の智慧 ― 般若なのです。 たとえば「美しいものを愛しなさい」と教える…

楽しみを貪るな ( Don’t Devour Enjoyments )

まどへる人の楽と思ふは、苦をもって、楽とおもへるなり / 鉄眼道光 迷いのなかにある人が「楽」と思ふことは、実は楽はない。本来は苦しみであるものを、楽しみと受け取っているのだ。江戸時代に生きた禅僧・鉄眼道光(てつげんどうこう)のこの言葉には、…

すべてお見通し ( Looking Each of Us Through )

「疑いなく信じておまかせするもののことは、阿弥陀如来がよくご存じである。阿弥陀如来がすべてご存じであると心得て、身をつつしまなければならない。目には見えなくてもつねに如来がはたらきかけてくださっていることを恐れ多いことだと心得なければなら…

急げ! 急げ! ( Hurry Up! Hurry Up! )

蓮如上人は、「今日という日はないものと思いなさい」と仰せになりました。上人は、どのようなことでも急いでおかたづけになり、長々と時間をかけることをおきらいになりました。そして、仏法を聞く身となった上は、明日のことも今日するように、急ぐことを…

どんな一日もよき一日 ( Any Day Is a Good Day )

日日(にちにち)是れ好日 / 録碧巌(へきがんろく) 「一五日已前(いぜん)は汝に問わず、一五日已後(いご)、一句を道(い)い、将(も)ち来(きた)れ(昨日までのことは問うまい。いま、お前たちはどう生きるのだ)」 雲門文偃(うんもんぶんえん)は…

無生の生 ( The Birth of No-Birth ) ( 2 )

お浄土を信じるといっても、有るとか無いとか決めようとしたら間違ってしまうのです。有るとか無いとか分別しないところにお浄土はあるのです。人間の分別のとどかない世界のことを浄土と呼びます。お浄土がどこにあり、「それはこういうところだ」と分別し…

無生の生 (The Birth of No-Birth ) ( 1 )

無生(むしょう)の生(しょう)とは、極楽浄土に生まれることをいうのである。浄土に生まれるのは、迷いの世界を生まれ変わり死に変わりし続けるというような意味ではなく、生死を超えたさとりの世界に生まれることである。だから、極楽浄土に生まれること…

「悪人正機」とは

「悪人正機」について [ マイペディア百科事典 ] にはこのように書かれています。 「浄土真宗の開祖親鸞の根本思想。『歎異抄』に < 善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや > とある。善人(自力作善の人)は自己の能力で悟りを開こうとし、仏に頼ろうと…

善人とは? 悪人とは? (The Meaning of a Good Person and an Evil Person )

「善人なをもて、往生をとぐ、いはんや悪人をや 」。これは親鸞の言葉(『歎異抄』第三条)として、大変に有名だ。「善人が阿弥陀さんの浄土に往生できるのなら、ましてや悪人は言うまでもない」という意味だ。 これを読んだ「常識人」は、無条件に、「それ…

親鸞聖人はなぜ『教行信証』を書かれたのか?

仏教のお経は、大量に存在する。そのため、それらをどう整理し、何が重要であるかを示す必要性が生じた。 親鸞聖人のみならず、各宗派の祖師方は多様な数多くの仏典を引用し、仏教全体を総合的に理解しつつ、それぞれの教義の正当性を明らかにしていった。 …

なぜ『般若心経(はんにゃしんぎょう)』を唱えないのか?

浄土真宗では「読経」を、功績を積むためのものではなく、信心をいただいた者が「仏徳讃嘆(ぶっとくさんだん)」すなわち仏さまの救いに感謝し、讃(たた)えるために行うものとする。 しかし『般若心経』には、ご本願も念仏も、阿弥陀仏のことも説かれてい…

念仏は称えれば称えるほど救われるのか?

法然の弟子には、その専修念仏の教えを、量が大切な問題だと受けとめる弟子が多くいる中で、親鸞は念仏は質が問題だと明らかにしたといえる。 その質とは、法然の主張した念仏の真意は、信心を伴う念仏こそがまことの念仏だと理解したことである。 【 『ここ…

「乃至(ないし)十念」の意味

阿弥陀仏は四十八願を立てられました。法然上人は、この四十八の誓願の中で「第十八の願」を本願中の王であると言われました。(『浄土真宗聖典』補注P.1572) 第十八願の文はこのようです。「たといわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、我が国に…

神棚を置かないのはなぜか?

諸神・諸仏・諸菩薩をかろしむべからず。(「御文」) 浄土真宗は、阿弥陀如来一仏を本尊とするので、他の神仏をたのむ必要はない。よって、阿弥陀如来を安置する御内仏(おないぶつ)があれば、神棚もまた必要がないこととなる。 しかし、阿弥陀如来一仏の…

仏壇に故人の写真を飾ってはいけないのはなぜか?

浄土真宗の仏壇「御内仏」は、阿弥陀如来の極楽浄土を表現した空間であり、本尊は阿弥陀如来一仏である。それ故、私たちは内仏の阿弥陀如来を拝み念仏を称えるはずなのに、故人の写真を拝み、手を合わせて念仏してしまうことになる。 このように合掌礼拝対象…

浄土真宗は現世より死後のことを問題にしている?

逆である。死後よりも、現世を重視している。現世において、まことの仏道を完成するか、それとも、仏法との出遇いなく、虚しく過ごすかを問いにしたのが親鸞だ。私たちが仏道を実践できるのは、この娑婆といわれる現世だ。生活の中で、称名念仏を中心として…

真宗が祈祷を否定する訳 ( The Reason Why the Shin Buddhism Deny Player )

「祈る」のは、私たち凡夫の心である。私たち凡夫の祈りは、私たちの欲望の心、自己中心的な思い、自己愛がまざりあって生まれてくるものである。 そのような欲望から離れ、さとりをひらき仏となるようにというのが、仏の祈り(願い)である。祈りの中にある…

真宗と浄土宗の教えの違い

まず前提として、祖師親鸞聖人にとっては、法然上人が説かれた教え(浄土宗)が、そのまま浄土真宗であったことは、親鸞聖人の残された言葉から明確である。 しかし、現在の浄土宗と浄土真宗との間に種々の相違点が見られることも事実である。例えば増上寺に…

阿弥陀如来はどこにおられるの? ( Where Is Amida Buddha ? )その(2)

「名体不二 ( The Name and Amida Buddha’s Body Can’t Be Dualized. )」とは、「阿弥陀仏の名号とその仏体とが一つであること」『浄土真宗聖典』です。ですから、私たちの口から念仏がこぼれる、まさにその場所には、阿弥陀仏が出現されているということで…

阿弥陀如来はどこにおられるの? ( Where Is Amida Buddha ? ) その(1)

「阿弥陀如来は、どんな仏さま?」 「阿弥陀さんは、無量の光、無量の命の仏さまという意味です。だから、誰もがいつでも、仏さまの救いに包まれているのです」 「じゃあ、阿弥陀さんは、どこにいるの?」 「西の方へ、ずっとずっと行ったところのお浄土にい…

五劫思惟の願 ( The Vow Considered for Five Kalpas )

Q 阿弥陀仏(法蔵菩薩)の本願のことをよく「五劫思惟(しゆい)の願」といわれますが、どういう意味を表しているのですか。 A 先にもうしたように、法蔵菩薩は、仏のさとりの領域が、そのまま衆生を迎え取る浄土となるような最高の仏国を建立し、さらに誰で…

『ありがたい深い話』( Edifying Deep Sermons ) (15)

遠く離れていようと、生きてさえいれば、互いに会える可能性を残しています。野辺の送りの悲しみは、その可能性がゼロになるからです。出会いがあればいつか別れが来るのですが、特に今生のわかれとなると、それが肉親であっても、友人であっても「あなたに…

楽しむ ( Enjoy )

浄土(真)宗では、浄土に往生して仏になった人は、再びこの世に帰ってきて、衆生を教化(きょうけ;衆生を仏道へと教え導くこと)して、救済すると説かれています。 その時の衆生を導き、救済活動をされる仏さま方の心境は、ただ「救済を楽しむこと」である…

『ありがたい深い話』(Edifying Deep Sermons) (14)

生活が豊かになり、物があふれている現代、科学技術の発展により便利さを確かに手に入れました。その代わりに大事なものをなくしてしまいました。「いのち」まで自分の都合のよいように「もの」として扱っています。 生きると言うことは、多くの動植物の「い…

急げ!急げ! ( Let’s Hurry Up ! )

実如上人が善従の逸話を紹介して、「ある人が善従の住まいを訪ねた時、まだ履物(はきもの)も脱がないうちから、善従が仏法について話しはじめた。側(そば)にいた人が、『履物さえまだ脱いでおられないのに、どうしてそのように急いで話し始めるのですか…

『ありがたい深い話』( Edifying Deep Sermons) ( 13 )

今、日本人の平均寿命は世界一の長さである。それでも死を迎えない人はなく、言わば死亡率の百パーセントは、ずっと変わらない。 まったく人生というと、生きることだけと思ってしまうが、実は死もまた、だれにも代わってもらえないわが人生なのだ。「生死一…

『ありがたい深い話』( Edifying Deep Sermons ) (12)

人の死を通して、人生無常の理(ことわり)を受け取ることができても、それを縁として自分の問題にまで深めることのできる人は少ない。人間の死亡率は百%です。私だけが例外であるはずがありません。 蓮如上人の『白骨の御文章』に、「我や先、人や先、今日…

「真宗の教えを ブログに書く」(投稿)

(富山新聞「地鳴り」投稿欄に私の投稿が掲載されました) 私の知る年配の知人や友人は、いろいろなサークル活動や運動、趣味を楽しむなど積極的で、宗教に熱心な人たちもいます。 私は、若い頃から浄土真宗に親しみ、今は、真宗の教えを中心にブログを書い…

命は仏様からの「頂き物」( Life Is ‘a Gift’ from the Buddha ) 

「真宗では、私たちの命は仏さまからの「頂き物」であると言われます( It is said in Shin Buddhism that each life of us is ‘a gift’ from Amida Buddha )」。聞法当初は、なぜ、そのように言われるのかわかりませんでした。命というものは、とにかく、一…