お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

2018-01-01から1年間の記事一覧

Unexpectedly( ふいっと )

ここで確認したいことは、教育が人知における同質的な変化、つまり人知の延長で何かがわかること(知識の吸収や創出)であるのに対し、仏の教化に浴することは、人智とまったく異質な仏智にふれることですから、実際の体験としてかならず人知からの飛躍がと…

To leave Oneself to Decree(天命に安んじて)

よく知られたフレーズ、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉を福沢諭吉<思想家・教育家(1834〜1901)>も用いています。これを清沢満之<浄土真宗大谷派の僧侶(1863〜1903)>は、「天命に安んじて人事を尽くす」と言い換えました。同時代に生きた二…

Notice Boards of Temples(お寺の掲示板)

「おまえも死ぬぞ」響く金言、お寺の掲示板に熱視線 短い言葉で仏教の教えや人生訓などを伝えるお寺の掲示板が各地で注目を集めている。生や死への鋭い洞察にハッとしたり、温かなメッセージに和んだり。SNSでは、お寺の掲示板を投稿してもらう「輝け!お寺…

Meeting Up with the Cicada(蝉との出会い)

今夏は猛暑続きで、「危険な暑さ」という言葉もしばしば使われているほどです。そのような中、どうしても避けられない用事があり、先日徒歩で出かけたことがありました。帰りが昼頃と重なり、太陽はほぼ頭の真上にあり、日陰の少なさが恨めしく思われたほど…

Being Wished and Allowed(願われて、許されて)

願われていた私 赦されて生きていた私 (東井義雄) (ほのぼのカレンダー ういず仏教文化研究会編集)<8月の言葉>より 私は誰に願われ、そして誰に赦されて生きていたのでしょう。言うまでもなく、阿弥陀さまに、です。これは、人間としてこの世に生を受…

Shinjin of Jodo Shinshu(浄土真宗の信心)

真実信心とは、人間の心によって成り立つのでなく、そんな私の実相をごまかしなく照らし出す光、つまり南無阿弥陀仏の大悲心への目覚めによってのみ、あたえられていく出来ごとであったことが知らされます。 【『浄土真宗入門 親鸞の教え』 池田勇諦 東本願…

In What Sort of Mind(どんな心で)

私が憶念している至言が、いまも想起されます。それは、ある人が暁烏敏師に「念仏はどんな心で申したらよろしいか」と質問したときのこと。師の答えは「お念仏は、おならする要領や」、この一言だったのです。何とユーモラスな表現でしょうか。この一語にす…

Is the Nembutsu of All People the Same?(誰の念仏も同じなのか?)

ここで、いま一つ確認の意味で自問したいのです。それはズバリ言って、“親鸞聖人の申された念仏と、自分が申す念仏と同じと言えるのか?”ということです。違うと言うなら、なぜ違うのか。同じと言うなら、なぜ同じなのか。分別に生きている私どもからは、違…

What Does Namu-amida-butsu Mean?(南無阿弥陀仏ってどういうこと?)

念仏とは、「阿弥陀仏」の御名(みな)を称えることです。 「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀仏の名であると同時に、仏それ自体を表しています。と言うのも、南無阿弥陀仏は言葉の仏であり、言葉以上のはたらき(本願)が言葉となった仏だからです。その点が、「南…

Any Kind of Hearts(どんな心も)

某新聞の「悩みの相談」コラムに、このような相談が寄せられていました。 「50代の女性です。私の悩みは、自分の考え方の傾向についてです。うまくいっている人を見ると、「彼(彼女)が失敗して不幸になったところを見たい」と考えてしまうのです。 幼いこ…

The World of Shouma(庄松の世界)

旅に病んだ庄松は籠に乗せられて、家に帰ってきた。「これで内へ這入ったから安心するがよい、弥陀のお慈悲を喜べ」といったら、庄松答えて曰く、「どこにいても、寝ているところが極楽の次の間だ」と。またある同行が見舞いに来て、「お前が死んだら墓を立…

Change(変化)

「してあげる世界」から「させていただく世界」へ (東井義雄) (ほのぼのカレンダー ういず仏教文化研究会編集)<7月のことば>より 「してあげる」と考えますと、「自分の力でしてあげる」になり、「させていただく」と考えますと、「阿弥陀さまのお計ら…

In This Very Life(今生でこそ)

御文章一帖目第十通に、このような件(くだり)があります。 「信心をとり弥陀をたのまんと思ひたまはば、まず人間はただ夢・幻(まぼろし)の間のことなり、後生こそまことに永生(ようしょう)の楽果なりと思ひとりて、人間は五十年・百年のうちの楽しみな…

A Good Opportunity(好機)

お釈迦さまは、このように仰っています。 「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く。この身今生に向かって度せずんば、更に何れの生に向かってかこの身を度せん。(人間に生まれることはとても難しいのに、私は今人間に生まれている。仏法…

The Probability to Be Born Humans(人間に生まれる確率)

私が遺伝子の研究をやっていて強く感じたことは、DNAの暗号を書いたのは誰かということです。 DNAはA、T、C、Gという僅か4つの化学の文字(塩基)でしか書かれていない。しかし、その4つですべての生き物の体の設計図が書かれている。極めてシンプルですよね…

It’s Difficult to Be Born Humans(人身受け難し)

ほんの一週間ほど前、東海道新幹線の列車内で22歳の男による殺人事件がありました。このような事件はここ数ヶ月の間だけをふり返ってみましても、立て続けに起きています。例えば、父親(20)による我が子(生後2か月の乳児)の殺害、近所に住む男(23)に…

To Live Together(共生)

我歳(われとし)きはまりて安養浄土へ還帰(げんき)すといへども和歌の浦の片雄浪(かたおなみ)のよせかけよせかけ帰らんに同じ。 一人居て喜はば二人と思ふべし、二人寄りて喜はば三人と思ふべし、その一人は親鸞なり。 これは、親鸞聖人の教えを慕う門…

The Solution of Death(死の解決)

私の知人に天台宗の坊さんがおりました。がんに罹って入院されました。個室で、枕元には不動明王をお祀りして、時間があれば不動明王の真言を唱えておられました。がんを本人に宣告することは死刑を宣告するのと同じだと言われていた時代のことです。お医者…

Too Close to See(近すぎて見えない)

山の中にいると山が見えない 汚れの中にいると汚れが見えない (東井義雄) (ほのぼのカレンダー ういず仏教文化研究会編集)<6月の言葉>より この言葉の意味に近いものに『故事ことわざ辞典』には「秘事は睫(まつげ)」という句が出ています。意味は、…

Right Now(差し当たり)

人生は一日一日の積み重ねである。ところが、私たちは「これからが本番だ」などと考える。しかしながら今この「差し当たり」が本番である。 良寛さんは「さしあたる そのことばかり 思えただ 帰らぬ昔 知らぬ行く末」と詠んでいる。過ぎ去った昔のことを悔や…

Elders’ Way of Life(年長者の生き方)

親鸞は晩年の境地を「自然法爾(じねんほうに)」(自然のまま、法のまま)と語った。私たちは老いを厭い、いつまでも若々しくありたいと思っているが、これは不自然なことである。まして自分の思い通りにならないとしかめ面をしてブツブツと不平不満をつぶ…

How to Live ‘Now’(「今」をどう生きる)

釈尊は次のように説いている。過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられた。未来はまだやってこない。だから現在のことがらを、現在においてよく観察し、揺らぐことなく、よく見極めて実践すべし。ただ今日なすべきことを熱心になせ」と。 私たちが…

Couse and Effect(因果)②

前回の「因果」に引き続き、因果に関する世界の諺を少し集めてみました。[ ] 内は日本における表現です。 *蒔いた種は刈り取らなければならない。[蒔かぬ種は生えぬ] (西洋) As you sow, so shall you reap. *収穫は種を蒔いたあとに来る。[蒔かぬ種は生…

Cause and Effect(因果)①

仏教が説く因果は、自分の言葉や行動が巡り巡って再び自分を悩ますという形で現実化してくることを教えている。ことわざに「因果は巡る車の輪」とあるように、自分の蒔いた種が他人を通って再び自分に還ってくる。 この世の人間関係はすべてそういう形をとる…

A Dense Fog and Earthly Desires(濃霧と煩悩)

先日の朝5時、家の辺りは濃い霧が一面に立ち込めていました。視界不良の中をいつもの公園にウォーキングに出かけたのですが、そこでも、同様の状態でした。以前も、このような濃霧の中を歩いたことを思い出したのですが、あの時感じたファンタスティックな気…

In Myself, Too(私の体の中にも)

私の体の中にも「ありがとう」と お念仏の灯がともってくださる (東井義雄) (ほのぼのカレンダー ういず仏教文化研究会編集)<5月の言葉>より 心の中で「南無阿弥陀仏」(「ありがとうございます」)と念仏がこぼれます。無意識のうちにも、ポッと「と…

A Journey(旅)

悲しい自分が見る風景は悲しい 関川夏央 旅情には「失意と悲哀」がつきものだ。車窓をよぎる風景の中に、「悲嘆にくれる自分」が含まれて旅情は成り立つと作家は言う。かつて人は流行歌の中で「北帰行」や、「海峡」にそのような思いを込めた。駅では別れを…

A Sense of Incongruity(違和感)

山折哲雄(宗教学者)さんが、朝日新聞be紙面の「生老病死」というご自身担当のコラムで書かれていることですが、4月14日付のテーマは「二つの散り際 私の中の違和感」でした。その中で、葉っぱのフレディという物語のあら筋がこのように書かれています。 「…

Endless Wishes(果てしない欲)

人間以外の他の動物は自然界において自分が行動する範囲はこれくらい、自分が食べるものはこれくらいと、自然において棲(す)み分けている。それぞれが節制しているようにも見える。ただ、人間だけは果てしない欲望を持ち、自己中心的に生活の便利・効率・…

Issa and Cherry Blossoms(一茶と桜)

現在の桜前線はどのあたりでしょうか。南から北へと、日本列島を駆け抜けながら咲く桜、私たちはその見事な花の姿に大きな喜びを感じます。と、同時に、良寛和尚が歌った「散る桜 残る桜も 散る桜」のように、無常を感じさせられることもあります。 無常とい…