2019-01-01から1年間の記事一覧
宗祖親鸞聖人は『高僧和讃』に、 生死(しょうじ)の苦界ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀弘誓(ぐぜい)のふねのみぞ のせてかならずわたしける と述べられています。これは、七高僧のお一人、龍樹菩薩を讃えられたものの一首で、生まれて死んで…
(7月)浄土真宗のならいには 念仏往生ともうすなり The tradition of the true Pure Land teaching speaks of birth through the Nembutsu. (8月)涅槃の真因は ただ信心をもってす The true cause of attaining nirvana is the entrusting heart alone. …
甲斐和里子さんの歌の一首に次の歌があります。 「一輪の花をかざして今日もまた浄土へ帰る旅を続けん」 ( Today too, with the flower of the Name in my mind, I will go on journeying to the Pure Land. ) この歌は、私の好きな歌の一首で、これまで何度…
限られた人生の中で、本当に人間として生まれた意義を全うして生き、いのちを終えさせていただくということは、たいへん大事なことだと思います。 それは、ただ単に、楽しく自分だけが満足していのちを終えるということではなくて、いろいろなつながりの上で…
百花春至って誰が為にか開く 碧巌録(へきがんろく) 春になれば咲き、夏がくれば咲く花々。その美しさは、私たちの心を潤してくれるものです。ところで、咲き誇る百花は、いったい何のために咲いているのでしょうか。 花は誰かのために咲いているわけではあ…
親鸞聖人は『高僧和讃』の中に、 弘誓のちからをかぶらずは いずれのときにか娑婆をいでん 仏恩ふかくおもひつつ つねに弥陀を念ずべし という一首を作っていらっしゃいます。意訳すると「阿弥陀如来の広大な本願の力を蒙(こうむ)ることがないならば、いっ…
「自力で成した善行をたのんで往生しようとしている善人は、ひとすじに本願他力(にまかせなさいといわれている本願)を受け入れる信心が欠けていますから、阿弥陀仏の本願に背いています。けれども、そういう人も、自力をたのむこころを改めて、本願他力を…
今月、6月でブログを始めて7年が経ちます。始めた動機は、浄土真宗の教えを少しでも広める役に立てればいいなという思いからです。 そのためには、当然公開することになりますが、この場合の利点は、誰に読まれても恥ずかしくないよう、表現や言葉遣いに気を…
今月初旬、東京都練馬区で、70代の父親が40代の長男を殺害するという事件がありました。長男は家庭内暴力を起こしていて、両親に対し度々暴力を振るい、反感を抱いていたといわれます。長男が発したと言われる「勝手に産みやがって」という暴言に、その反感…
浄土真宗で、教えを受ける、お念仏の生活をするということについて、いろいろな面から味わうことができますが、私は、一口にいって、喜びであると思います。 (略) 浄土真宗の喜びは、…………. 真実の教えに遇った喜び、真実を聞かせていただいた喜びにほかな…
「ああおもしろかった」と臨終の際にどこまで言えるかが、限りある生の勝ち負けを決めるものさしだと私自身は思っている。 筑柴哲也 あえて「勝ち負け」と言うなら、との但(ただ)し書きをつけて、ジャーナリストはこう書く。社会的な活動も同じで、いくら…
主人公 / 無門関 唐代に生きた師彦(しげん)和尚は、毎日自分自身に「主人公」と声をかけて、自分で「はい」と答えていたと言います。 そして「しっかり目を開けておれよ」「どんなときも、他人に騙されてはならんぞ」と、自分に言っていました。 当たり前…
先日(25日)の早朝、いつもの公園へウォーキングに出かけた時のことです。その日は快晴、思いがけず一羽のウグイスのさえずりに迎えられたのでした。 ウグイスといえば、3月頃から鳴き始めますが、毎日その声を聞くわけでもなく、また、もっと聞いていたい…
いたずらに百歳いけらんは、 うらむべき日月(にちげつ)なり(道元) 長生きすることはよいことだと思われています。平均寿命はどんどん延び、いまや人生百年時代ともいわれています。 しかし待ってください 。 長生きは本当にいいことなのでしょうか。もし…
山口県下関市の六連島(むつれじま)に、お念仏を大変喜ばれたお軽(かる)さん(一八〇一 ~ 一八五六)という妙好人がおられました。 (略) お聴聞を始められた当初は、厚く高い壁に何度もブチ当たり、かえって苦悩が深まったこともありました。しかし、…
ものごとにはすべて原因があり、そこに縁が働いて結果が生じるという因縁と縁起はブッダの理論の本質を示すものです。 それは、よくモミと米の関係にたとえられます。モミは、そのままでは米になりません。苗床に植え、田んぼに移し、雑草や害虫、暴風雨にダ…
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり (道元) ごく当たり前のこと、あるがままのことが素晴らしい。道元の歌は、そんなことを私たちに気づかせてくれます。しかしながら、この当たり前のことがなかなかできないのが私たちです。 春…
「人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている」 スッタニパータ(「経集」) この言葉の後には「愚者は悪口を言って、その斧によって自分を切り裂くのである」と続きます。生まれながらにわが身を殺してしまう斧が口に生えているとは、実に恐ろしい…
「楽しや五月草木は萌え……. 」と歌にあるように、今は春らん漫、山々の木々の葉が柔らかな黄緑色に萌え、とても新鮮です。私の居住地では、もう山桜は咲いていませんが、白や黄色の花満開の木々が目を楽しませてくれます。でも、そこに山桜があればどんなに…
剣をとる者はみな、剣で滅びる。 マタイによる福音書(新約聖書) 暴力で事を解決しようとする者は、いずれ暴力でなぎ倒される。暴力は何も生まない。同じように、金で身を立てる者は金で身を滅ぼす。まるでブーメランのように。が、そうした宿痾から言葉の…
江戸時代の禅僧、良寛にこのような詠があります。 「花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ねる。 花開くとき蝶来たり、蝶来たるとき花開く」 花も蝶も、ただ、今なすべきことに集中しています。 妄念を離れて打ち込むその姿に心を打たれます( I am …
「阿弥陀仏の本願が真実であるなら、それを説き示してくださった釈尊の教えがいつわりであるはずがありません。釈尊の教えが真実であるなら、その本願念仏のこころをあらわされた善導大師の解釈にいつわりのあるはずがありません。善導大師の解釈が真実であ…
今日は平成最後の日です。少し、浄土真宗の歴史を振り返ってみました。 平安時代末期に法然上人が浄土宗を興されました。そして鎌倉時代に入り、親鸞聖人がその教えをより詳細に表すために、真の一字を入れて浄土真宗とされ、その開祖となられました。その後…
蓮如上人は、「弥陀にお任せする信心ただ一つで仏になる」(『御一代記聞書』)と言っておられますが、「如来にお任せする信心」とは具体的にどういうことでしょう。 親鸞聖人は『唯信鈔文意』の中で「『聞』はきくといふ、信心をあらはす御(み)のりなり」…
“心ここに在(あ)らざれば 視(み)れども見えず 聴けども聞こえず”という言葉を目にしたことがあります。わたくしたちはあまりにも偉大なもの、素晴らしいものは、自分の全知力を傾注しても、その全体像を認識することは極めて難しいことです。また、見た…
先日、フランスのノートルダム大聖堂で大規模な火災が発生しました。「ノートルダム」はフランス語で「我々の貴婦人」を意味し、大聖堂は聖母マリアに捧げられたものだそうです。聖母マリアはイエス・キリストの母ですから、祭壇などにマリア像などがあった…
では、(親鸞)聖人のようにお念仏を申しつつ、静かに臨終を迎えなければ救われないのかといえば、決してそうではありません。平常からお聴聞(聞法)を重ね、阿弥陀如来のご信心を得たならば、どのような状況であろうとも間違いなく往生が定まるご本願です…
「昨今は宗教、特に仏教が厳しく問われています。……… 時代遅れだ、死後のことばかりだ、等の声をよく耳にします。しかし浄土真宗はいつの時代でも誰にでも受け入れられる教えです」。これは藤井邦麿師の言葉です。ここで、「死後のことばかりだ」との声に注…
お釈迦さまといえば、誰もが知る仏教の開祖です。6年間にわたる難行、苦行の末、35歳の時、悟りの52位と言われる52段目の最高の悟り、即ち「仏の悟り」を開かれました。そして「仏と仏とあい念じたまう(仏仏相念)」という言葉が表すように、お釈迦さまは、…
南無阿弥陀仏ということは、私たちが如来様に向かって言うよりも前に、如来様の方から自分自身を名乗り、私たちを喚ばれている言葉なんです。だから、私どもが言っている南無阿弥陀仏は、その如来様の呼び声の反響だと言ってもよいですね。私たちよりも先に…